ものみの塔による印象操作
ものみの塔と裁判をしている件。ものみの塔側が私のブログを証拠資料として提出している。乙33「エホバの証人が記念式で使用する公共施設600ヵ所に電話。」アルコール禁止施設にエホバの証人が記念式で赤ワインを持ち込むってどういうこと?と電話したときのこと。
ものみの塔は、本裁判の準備書面で、我々の600ヵ所への電話調査を「クレーム」と断じている。しかし、実態は公共施設の利用実態を確認しただけのところがほとんど。これを「クレーム」と決めつけるのは、ものみの塔側にとってずいぶんと都合のいい解釈。
「クレーム」という言葉にネガティブな響きを持たせて、あたかも“迷惑行為”や“嫌がらせ”のように印象操作をしてくる。これが、ものみの塔のやり口。
信教の自由でなく、”信教の特権”
公共施設の利用に関して、疑問や懸念があれば、それを問い合わせたり、説明を求めたりするのは市民の正当な権利。むしろ、それを「クレーム」として問題視すること自体が、行政の説明責任や市民の監視機能を軽視している。
特定の宗教団体が公共の場をどのように使用しているかを把握し、適切な運用がなされているかを検証するための調査であり、市民としての正当な行動である。これを“クレーム”と断じること自体、公共性に対する理解の欠如を示している。
公共施設の利用実態を確認するために電話したら、それが“クレーム”になると。宗教団体にとって都合の悪い質問をすること自体が“迷惑行為”とされるなんて、これはもう、信教の自由じゃなくて“信教の特権”。
恥を知れ
以下、ものみの塔側の裁判準備書面より。
原告が 被告及びその関連団体に対して、その独善的な差別主義思想に基づき、ヘイトスピーチ、誹謗中傷、宗教活動妨害等、様々な嫌がらせ行為を執拗かつ陰険な手段を駆使して再三繰り返していることは明白である。本件訴訟提起も、かかる粘着質な嫌がらせ行為の一環として行われ
たものである
らしいんだけど、
通算約500発もものみの塔的「愛のムチ」で体罰を喰らった、元2世信者に対して、執拗かつ陰険な手段を駆使して粘着質な嫌がらせをしているとか、よく言えるよね。被害者が加害者にされる構図。恥ずかしくないのかしら?
執拗かつ陰険な手段を駆使して粘着質な嫌がらせをされている、と思うのなら、果たしてその理由は何なのか考えろっての。
しかも、宗教団体の公共施設の使用方法に疑問を持ち尋ねることは“嫌がらせ”ではない。


