体罰全面禁止の国のエホバの証人

体罰の悪影響

体罰は身体的な痛みだけでなく精神的な痛みを伴う。みじめさや恐怖心は子供の心の成長に悪影響を及ぼす。これは科学的な調査によって明らかにされている。アメリカ合衆国で2002年に発表された体罰の研究成果がある。

体罰を受けて育った子供は、その時には親の言うことを聞くという一時的「効用」があるが長期的には

  • 攻撃性が強くなる
  • 反社会的行動に走る
  • 精神疾患を発症する

などの副作用があることが分かっている。

これはまさにエホバの証人2世としてこらしめというを暴力を振るわれて育った私にまさにあてはまっている。精神疾患は辛うじて免れていると思いたいが、私は攻撃性の強さと反社会的行動で20代を走り抜けてしまった。

体罰を受けて育った子供は言葉や社会性の発達にもはっきりと遅れが見られるのである。体罰には良いことなど何もないのだ。日本は違うのだが体罰を法律で禁止している国が世界に52ヵ国もある。

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14万4000人の嘘

昇天するというおこがましい妄想

私が子供の頃に連れて行かれていたエホバの証人の会衆内に急に油注がれてしまった老婆の信者がいた。その老婆姉妹(エホバの証人は男性の信者を兄弟、女性の信者を姉妹と呼ぶ)の息子と娘は既に成人していたがエホバの証人としてものみの塔協会に献身していた。その老婆も正規開拓者としての活動にもう何十年も従事していて会衆内でも一目置かれるベテラン信者だった。

エホバの証人の油注がれた人々の教義は特殊である。14万4000人の神により油注がれた人々は死後に昇天しキリストと共に地上を統治するということにされているのである。何ともおこがましい傲慢さだが、彼女ならそれにふさわしいのではないかというのが会衆内の人々の所感だった。それほどその老婆姉妹は会衆内で幅を利かせていたのである。会衆内で信者の尊敬を得ているという感覚がこの老婆のおこがましい妄想に至るきっかけとなったのだ。

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偽りの家族

エホバの証人を10代でやめたあと

私は両親ともにエホバの証人という神権家族で育ち14歳でエホバの証人をやめた。もしエホバの証人をやめる前にものみの塔協会に献身していたら戒律に基づき私は組織からの排斥処分になっていたはずである。未成年にして喫煙や飲酒も始めていたし交際していた彼女とも体の関係があったからである。

私が17歳から18歳の頃の話である。この頃の私はもう二度とエホバの証人の組織に戻るつもりはなかった。これは当然今も同じである。またエホバの証人そのものを人間として毛嫌いしていた。10代の私の懐は狭くそう考えることしか出来なかった。

私にとっては排斥上等だったのである。ただ私は正式にバプテスマを受けて献身する前に組織をやめていたので、私が望むか望まないかに関わらず排斥という扱いを受けることにはならなかった。

私がものみの塔協会から排斥処分を受けていれば独立して家を出た後は両親と縁切りになりになっていたはずである。現在の私は短大卒なのだが中学校卒業後の高等教育を受けさせて貰えることも無かったかも知れない。そうなるとその学校で出会った現在に至るまでの貴重な友人たちと出会うことも無かった。

暴力団の組長の車と事故を起こしたときも自分で解決出来ただろうか。実際には未だエホバの証人だった父親が一緒に謝りに行ってくれて解決に至った。エホバの証人のことだけを優先して育てられた私には世の中を渡っていく感覚というものが全く養われていなかった。16歳で家を出ていたら一般的な日本人というかエホバの証人的に言う世の人”としても道を踏み外していたのかも知れない。それこそものみの塔協会の思う壷である。サタンの道を歩むとああなるのだと言われるのである。

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限りあるゆえに輝く人間の生

限りあるゆえに輝く人間の生

私はエホバの証人組織を出て長く年月が過ぎ、細かいものみの塔協会の教義は忘れてしまった。組織を去って既に20年経っている。1914年の教義が嘘偽りで開祖ラッセルの思いつきであるということを細かく理論立てて説明することは出来ない。

こんな私にただ1つだけ言えるのは、人間の生涯は限りあるから美しく価値があるのだということである。我々の儚い一生は永遠の命よりもずっと素晴らしいものなのだ。その限りある時間を無駄にすべきではない。

あなたがエホバの証人をやめたいと考えていて組織に残る家族との関係が気がかりならば、愛する家族に対して人生の貴重な残りの時間をともに歩んでいきたいと伝えれば良い。

あなたの洗脳が未だ解けておらずハルマゲドンが恐ろしいとしても、家族に伝えるべきことを伝え生涯で成すべきことを成せばそれで良い。それならば例えハルマゲドンで死んでも後悔は残らない。そもそもハルマゲドンで我々人類が突然死することはないのでその心配はない。

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人間の姿に似せて想像された神

神々という虚構を造り出したのは人間

子を取るべきか神を取るべきか、そんな簡単な決断すら誤る精神的に未熟な親に対して神は厳しい試練を与えはしない。アブラハムやイサクとは我々は違うのである。アブラハム親子はキリストの祖先となる選ばれた血統だった。命をかけても親子の信頼関係と神への愛情は揺らがなかった聖人たちである。そこら辺にごまんといるエホバの証人親子とは訳が違うのである。ほとんどのエホバの証人の親子はものみの塔協会への信仰を巡って親子関係を決定的に損なうことになる。

アブラハムに犠牲として息子のイサクの命を求めたのは神である。しかしエホバの証人信者に親子関係の決裂という犠牲を要求しているのは神ではない。世界に無数にある新興宗教組織の1つに過ぎないものみの塔協会である。洗脳下にあるエホバの証人には信じがたいことだろうが神のために人がいるのではない。人間のために神が存在し宗教があるのである。そもそも人間は神の創造力によって造られたのではなく、神々が人間の想像力によって生み出されたのである。

自身への愛情のために息子を捧げよという残酷なことを口に出来るのは、その神が人間による想像の産物だからである。人間の持つ残酷な一面が虚構の神によって浮き彫りにされているのである。神の姿に似せて人間が創造されたのではなく、人間の姿に似せて神が想像されたのだ。ものみの塔協会の主張するエホバもハルマゲドンも所詮はここから派生したものに過ぎない。

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全ての人間関係を失うことになるエホバの証人

エホバの証人の排斥とは

私の父親は衝動的な自殺未遂とも言える夜釣りを経て、エホバの証人組織に残った最後の友人とも何となく気まずい関係になってしまった。そもそもその最後の友人である未信者の人の奥さんは強烈に熱心なエホバの証人信者なのである。既に喫煙を再開している私の父親は過去には長老だったとは言え、その信者にしてみれば既に避けるべき人間なのである。未信者の旦那さんでも排斥になりかねない人と交友を重ねることは勧められたことでもないだろう。こうして私の父親は全ての人間関係を失うことになった。

ものみの塔協会の組織の中で大人しくしている間はお互いにエホバの証人たちは兄弟姉妹と呼び合って水魚の交わりを結ぶ。男性の信者はお互いに握手をするくらいだ。しかし一旦組織を排斥処分になったり自ら断絶したりした人に対しては街で会っても挨拶すら禁止という掟がある。

排斥処分というエホバの証人的村八分になると王国会館に行っても一切歓迎されない。集会のプログラムを聞くことは許されているが、端の席で誰とも目を合わさないようにしていなければならない。集会が始まる直後にこっそりと入っていって終わる寸前にひっそりと帰宅するのである。排斥者は一定期間の村八分状態に耐えると組織に戻ることを許可される。

そこまでしてエホバの証人の王国会館に通わなければならない理由が私には一切分からない。洗脳の影響なのかこの組織内にしか唯一の人間関係を持っていないからなのか。とにかく初めて王国会館に行ったときの抱きしめられるような熱烈な歓迎の精神は排斥者には示されないのである。

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エホバの証人をやめる2つの方法

エホバの証人のやめ方その1

私が14歳でエホバの証人をやめた後で両親も順を追ってエホバの証人をやめた。その過程で私の両親が離婚するに至る。私の父親は母親と離婚していきなり家を出て行った。その父親と7年から8年ぶりに再開したことがあった。そして1晩だけ2人でホテルに泊まったのだった。

私も父親もお互いに口数が多い方ではないし、私がエホバの証人をやめたあとでは余りお互いに突っ込んだ話をすることもなかった。一家離散状態であることなど様々な要因がありこの晩もお互いに上手く話せなかったのではないかと思う。

父親は「お母さんはまだ宗教をやっているのか」と私に聞いた。この時になってようやく私は父親がものみの塔協会を偽善の組織であると判断していることを知った。それまでは父親が再度タバコを吸い始めているので、エホバの証人組織をやめていることは知っていたのだがものみの塔協会についてどう思っているのかは知らなかったのである。

つまりはマインドコントロールが解けているのか、解けていないのかということである。”霊的”に弱まってエホバの証人の集会などに参加するのをやめ、その戒律に反しているのか、それともものみの塔協会の偽善隠蔽体質を見破って組織を去ったのかということである。それによって話す内容はだいぶ変わってくる。私と父親はそんな我々の精神的根幹に関係したことさえお互いに知らずにいたのである。

まずは洗脳が解けてから組織を去る。これがスパッとやめられる方法である。ただし組織に残る信者との温度差はかなりのものとなる。その温度差に注意しなければ私の両親のように離婚に至ってしまう危険もある。

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エホバの証人の父親の悲劇

エホバの証人が捧げる多大なる人生の浪費

私の父親はものみの塔協会に20代から40代までの貴重な時間を捧げてしまった。組織に献身し何もかもを失ってしまった。一家は離散し仕事の経歴はスキルのさほど必要とされない業種の転職だらけだった。財産もほとんど残せていない。何より一番大きな損失は若さとそこから来るエネルギー全てをものみの塔協会に吸い上げられてしまったことである。貴重な時間と多大な労力とをものみの塔協会のために浪費してしまったのである。

私の家庭では経済的な面でもものみの塔協会のために多大な浪費を行っていた。通算になると恐ろしい金額となる多額の寄付をしていたのである。毎月幾らと決めた金額を王国会館の寄付箱に入れていた。何たる浪費だろうか。エホバの証人は金銭に執着しないように、守銭奴にならないようにと教えられ、惜しげもなく自らの財産のほとんどをものみの塔協会に捧げてしまう。エホバの証人はものみの塔協会が発行する出版物を一冊たりとも漏らさず手に入れる。そしてその発行に見合う分の寄付金を暗に要求されているのである。

この世の終わりは近いので世俗の仕事に集中することは許されない。ものみの塔協会はフルタイムの仕事に就くことを勧められていない。世俗の企業は全て滅ぼされる、その終わりの日のことを”ふれ告げる”活動に自分の時間の全てを費やすことを要求されるのである。

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エホバの証人の犯すものみの塔崇拝という罪

エホバの証人になるという間違った人生の選択

エホバの証人になるというのは完全に間違った人生の選択である。その道に人を導くというのはもってのほかである。人は生まれて来てから死ぬまでの限られた時間を自分で選んだことのために使わなければならない。この最も単純な自由が叶わない人々が人類の歴史の中には多く存在した。我々は幸運にも自分の生き方を自分で選択することが可能な時代に生まれてきた。その貴重な権利を放棄してはいけない。ものみの塔協会の言いなりになって生きるというのは人生の無駄遣いである。

それが自分で選んだ生き方であるという反論があるだろう。しかしエホバの証人として生きるということは、他人をその道に引き入れる活動をしなければならない。人々を誤った道に引きずり込むということは、どう考えても人の道に外れた悪行に他ならない。

エホバの証人は誰もが真理を求め敬虔な宗教心を抱いて王国会館に通っているはずである。それがいつの間にかものみの塔協会の洗脳下に置かれる。そうなると自分でものごとの良し悪しを考えることが出来ない思考停止状態に陥り、ものみの塔という偶像を崇拝する罪を犯してしまうのである。そして同じ誤った道に人々を迷い込ませているのである。

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エホバの証人家族の行く末

エホバの証人の元2世に残る傷跡

私の両親は父親がエホバの証人組織をやめてから家庭内別居に近い状態にあったようである。まだエホバの証人組織に未練が残り洗脳状態の解けていない母親と、ものみの塔協会の偽善体質に気付いた父親との関係が希薄なものになっていったようである。

私の高校生以降の学生時代は寮に入ったり遊び歩いていたりとあまり実家に帰ることはなかった。就職してすぐに家を出たことも大きいだろう。この頃の私はものみの塔協会により奪われた幼少期からの時間を取り戻すべく、エホバの証人2世として禁じられていたことの全てをやろうとしていた。今まで出来なかったことを全てやらなければならない、誰よりも楽しく生きなければならないと思い込んでいた。エホバの証人組織をやめたばかりの父親の痛みと未だ組織にとどまる母親の洗脳状態を気遣う余裕などはとても無かったのである。

私でもつい最近までエホバの証人やものみの塔協会について冷静に考えることは出来なかった。ものみの塔協会を憎みその教義を全否定し、何も知らずに私の家に伝道にやって来るエホバの証人たちを追い返すことしか出来なかった。道を歩く伝道奉仕中のエホバの証人を見ることや、あのパステルカラーの王国会館を見ることが恐怖ですらあった。

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