エホバの証人の戦争反対は、単なる無責任野郎のそれ

エホバの証人の無責任な戦争反対

エホバの証人の効果的・合理的な布教方針

『近現代日本とエホバの証人』、第三章「不確定の時代」後半部分。

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かつての日本におけるエホバの証人の増加は、米国本部の都合によるものであり、

入信する側の事情ではなく、入信を促す側の事情による

この点が、この本の研究骨子になっている。

終末はすぐそこだと既存信者を煽り立て、新規信者の獲得に躍起にさせる。布教時間にノルマを設定し、新規信者の正式入信までの時間に制限を設けるなどの効率的手法を用いて、日本を汚染させた。本書にはこういったことが記載されている。

こうして、

エホバの証人は日本中を効果的に蹂躙し、一定数は存在すると思われるカルト予備軍を根こそぎにした。

一定数のカルト予備軍とは、信じ込みやすい人、騙されやすい人、奇跡的な体験をしたい人、今で言うところの情弱者。または、家族の死や別離、専業主婦などの孤独を抱えた人。

エホバの証人が根こそぎにした情弱者とは

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エホバの証人の反戦、平和的行動が評価されるべきでない理由

エホバの証人と戦争

『近現代日本とエホバの証人』、第二章「灯台社の時代」末尾部分。

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日本におけるエホバの証人の始まり。戦前に明石順三が米国から持ち込んだことに由来する。戦時中にはエホバの証人は思想犯として逮捕収監された。

当時のエホバの証人活動が「平和と反戦」という方向性で好評価されることがある。軍務を拒否し、戦争にも反対したと。

この大戦が敗戦に終わったことや、統帥権の濫用による暴走・無計画とも言える開戦までの成り行きにより、この戦争を批判することが盲目的に正しいとされる風潮もある。

先の大戦の是非を問うのは、このブログの主旨とは異なるし、一概に断じれるほどの知見も無いので避ける。「日本のエホバの証人が、戦時中に戦争反対の行動を示していて素晴らしい」という意見に対してだけは、反対意見を述べておきたい。

国民として戦火の中にあった場合、エホバの証人のように「戦争反対、兵役拒否」という態度をとるのが果たして正しいのか?戦争の是非はともかく、始まってしまったら、国民として成すべきことを成すという態度が正しいのではないだろうか。

戦争賛成と言っているのではない。戦争で死んだり、殺し合ったりするのは絶対にイヤだし、少なくとも平和主義を謳っている、この時代この国に生まれてきてラッキーだったと思う。

とはいえ、実際に戦争が始まってしまったのなら仕方ない。国民としてやれることをやるのが正しいのではないかと。

当時のエホバの証人の反戦行動が国全体に広がったとすると、戦争を継続することができず、早々に国家瓦解。中途半端な国として疎んじられ、外国の分割占領統治を許し踏みにじられ、現在の日本という国は存在しない。我々の祖父、曾祖父の世代は他国に搾取され犯されという目に遭う。

個人として戦争反対という意見を持つのは何の問題もない。戦争が始まってしまっても反対は反対、という個人的態度をとりつつも、国民としての責任・義務は何らかの形で果たす。それがあるべき姿。非常時の国家で逮捕収監されてまでお荷物になるのはいかがなものか。

『近現代日本とエホバの証人』、カルトに取って喰われる無自覚層

ブレずに教団至上主義のエホバの証人

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