1914年、ものみの塔の独創的オモシロ予言解釈3つ

宇宙時代の幕開けが、「終わりの日」の始まり

『良心の危機』、第10章 1914年と「この世代」。1914年の世代が死に絶える前に、ハルマゲドンが勃発するというのがものみの塔の聖書解釈。

ものみの塔は、その「世代」をどこまでも拡大解釈することで予言非実現のごまかしを続けていた。しかし、ネタ切れになり苦し紛れの素案が統治体内で議論される。

まず一つ目、独創的なオモシロ提案。

太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう

という聖書の言葉に関連して、宇宙時代の幕開けとなった1957年、

旧ソ連のスプートニク号が初めて宇宙に打ち上げられた年

を1914年と読み替えようというもの。これは統治体メンバーが本気で統治体全体に対して提案したもの。

時を一気に43年も稼げるし、聖書の言葉と宇宙開発が全くリンクしていないギャグ感が最高なのだが、これは非採用。

いついつまでも増殖する、油そそがれた者

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ものみの塔の妄想的希望、終わらない「終わりの日」

ものみの塔の終わらない「終わりの日」

『良心の危機』、第10章 1914年と「この世代」から。「この世代」が死に絶える前に、世界に終末が到来するというのが、ものみの塔の年代予測。

 

「この世代」というのは1914年の世代。エホバの証人にとって、当初は終着地点だった1914年はいつか始まりの年になり、その始まりの解釈も延々と先送りされてきた。

1914年の世代、当初は1914年に壮年だった者の世代、この人たちが最大限長生きしたとして130才になるくらいまでに、この世の終わりが来るとされていた。

これが徐々に延ばされ、第一次世界大戦の終戦のまで世代は引っ張れると、終戦の1918年までの4年間をチマチマと稼いでみたり。

さらに時が過ぎると、1914年生まれでもいいんじゃねと、1914年生まれの赤ちゃんが全員寿命で死に絶えるまでと延長。

現在の設定では、1914年っぽい雰囲気を味わった世代が死に絶えるまでとなっているはず。解釈次第でどこまでも延長できる実質無期限。

1914年だと日本だと大正時代、はいからさんが通るの頃。大正ロマンなんてとうに失われているので、とっくに時間切れ。しかし、ものみの塔に言わせれば、1914年以降の終わりの日が継続中という設定らしい。終わらない「終わりの日」が。

ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

真理ではない1914年のものみの塔教義

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信用に値しないと自身でも認めるものみの塔協会、当たらない予想屋

人間だから間違うというものみの塔協会は信用に値しない

『良心の危機』第7章「予言と独断」。本章の末尾部分でものみの塔の「目ざめよ!」誌1993年3月22日号が掲載されている。内容は、ものみの塔が予言をハズしまくったことに関して、偽預言者ではないという見苦しい弁明。

この「目ざめよ!」の1993年当時の私は、エホバの証人脱会決意を固めていた少年。中学生になる直前。この記事を覚えていないのは、ろくに読んでいなかったからか。脱会する数年後に読んでいれば、ものみの塔のことをボロクソに言う材料にしたと思うのだが、今代わりに言っておこう。

この「目ざめよ!」誌の本文はこう。予言する人について

自分の語っている事柄は正しいと誠実に信じている人もいます。そうした人々は、聖書の言葉の一部や物理的現象について独自の解釈に基づいた期待を唱えます。エホバから直接啓示を受けて予言している、つまりエホバの名前によって預言しているとは唱えません。ですから、そのような場合、予言がそのとおりにならなくても

偽預言者とみなすべきではありません。人間は誤りを犯しやすいため、物事を誤解していたのです。

だから、ものみの塔を偽預言者と呼ばないでということ。もともと独自の見解を述べているだけだし、人間だもの、間違いはあるから許してねと。

ここに書いてあることが全て真実だとは決して思えないが、話の筋には辻褄が通っている。以下の流れ。

  1. ものみの塔は誠実な人間の集団で、聖書の独自解釈で予言している
  2. そして、人間なので間違うことも多々ある

ということ。よく理解できる。つまりは

  • ものみの塔は信用に値しない

もうちょっと優しく判断すると

  • ものみの塔の予言は信用に値しない

くらいだろうか。

ものみの塔協会は予言ハズシの老舗、偽預言者の伝統芸

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ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

ものみの塔の予言は時が来ると見解に変わる

『良心の危機』第7章「予言と独断」より。エホバの証人の予言によると、かつては1914年が終着駅だったのだが、いつの間にか1914年が出発地点になっていたと昨日の記事で書いた。

 

1914年以前のものみの塔本では

1914年が「不完全な人間たちによる統治の終わりである」と断言されている

しかし、

1914年について自信満々に予言していたことが起こらなかったため

1914年以降のものみの塔本では、預言ハズシを隠すために

明らかな手直しが行われている

当時ものみの塔会長であったラッセルは1914年何が起こるかについて特に何も言っていなかった

ことにされている。さらに

強い期待感や独断的な主張があったとすればそれはラッセルではない側、つまり読者の側に責任があった

という書き方をするようになった。責任転嫁。

本書の著者はこれがいかに欺瞞であるか、退屈な大昔のものみの塔本をきっちり引用して証明している。

1914年以前のものみの塔は、1914年に地上の国家権力が崩壊するのは揺るがない真理と書いている。ところが1914年が近づくと日和って

我々としては異邦人の時が患難の時に終わることについて、あるいはそれに続いてやってくる栄光の時代について、何も預言したことはないのです。我々はただ聖書の言うところを示し、その意味について我々の見解を示したのであり、これがいかなる意味を持つかについては読者諸君それぞれが判断してもらえるようお願いしたようなわけなのです。

と、完全消化不良な書き方になる。

ものみの塔が言う見解というのは、単なる妄想に過ぎない。かつては確信に満ちた真理と書き、刻限が近づくと一見解ですと及び腰になる。これがものみの塔詐欺。これは確信に満ちた私の見解です。

ものみの塔の人生そのものを操作されるエホバの証人

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ものみの塔協会は予言ハズシの老舗、偽預言者の伝統芸

『良心の危機』、読みにくい第7章なのだが・・・

『良心の危機』第7章「予言と独断」、冒頭の聖書「申命記」からの引用をさらに引用。

もし預言者がエホバの名において話しても、その言葉が実現せず、そのとおりにならなければ、それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである

エホバ、エホバ書いてあるので、忌々しい新世界訳からの引用だと思うのだが、つまりは予言をハズした奴はせん越な偽預言者ということ。これは他でもないものみの塔のこと。

ものみの塔は、世界の終末ハルマゲドンの予言をやがて150年ハズし続けている。信者を惑わすものみの塔は完全なる偽預言者。

「預言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔

ものみの塔協会の統治体の予言は時代ごとに現れる偽預言者の世迷言

本章の主旨やものみの塔の正体は前述の聖書からの引用で全てなのだが、この7章は続く。予言ハズシの実態をものみの塔の宗教本から多数引用して糾弾している。

この章はものみの塔の引用が退屈でしょうもないので読み進めるのが苦痛。しかも傍線が引いてあったりして、著者のエホバの証人らしさが出ている。私もかつてエホバの証人2世信者であることを強制されていた頃、こうして宗教本に下線を引いて予習をさせられた。

偽預言者の伝統芸、磨き上げられた信者を欺く「神技」

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絶対当たらないのが預言、ときどき当たるのが予測~預言するものみの塔は偽者

絶対当たらないのが預言、結構当たるのが予測

元エホバの証人二世の論考集『エビのしっぽ』。Kindle Unlimitedなら無料。

我々は確かに預言などを信じやすいんですけど、修正能力も持っている

この我々というのは人類全般。程度の差こそあれ、人間は太古から預言などを信じやすいようにプログラミングされている。なぜなら、先を予測しないと危険を回避できないから。

天気予報がなければ、傘が無くてずぶ濡れになる。草やぶのような暗がりには危険な生物が潜んでいるのを想像して、原始時代から人間は闇を恐れてきた。年長者の伝承や助言に従うのも、先人の知恵に学び、行く末を案じて生き延びるため。

そんな未来予測全般を無視して、行き当たりばったり好き放題に生きていれば、人類は早晩全滅していただろう。

しかし、たった一度の成功体験から原因と結果の因果関係を決めつけて、当たりもしない験を担いだり、それを他人に押しつけたりというのも人間の性。

そして、この予測という人間の習性に付け込んで悪さをするのが数多の偽預言者。予測の謙虚さ、不確実性を排除し、絶対当たりますと言い切るのが預言。

ズバリ、言ってしまうと、当たらないのが預言、当たるか当たらないかは分からない前提を認めた上で、当たる可能性が高いのが予測。

ハズれた結果を鑑みて修正、さらに当たりやすくなっていくのが予測。初めっから絶対当たるの一点張りで、結果を一切顧みない、ハズれたときにはすべてを失い、時すでに遅しというのが預言。

つまり、絶対当たらないのが預言、結構当たるのが予測。

「預言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔

エホバの証人の全幅の妄信

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もっと崩せ、JWの信仰の土台-part2~神に組織は不要、ラッセル君の「思い付き」

エホバの証人の信仰の土台とは

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『ものみの塔協会の誤導からエホバの証人を解放するために』から。エホバの証人(JW)の信仰の土台を崩す議論の続き。

昨日は(1)ものみの塔協会=真理の組織を崩す

今日は

(2)「統治体」「ものみの塔」に従わない者は大患難で滅びる

(3)1914年の預言

を崩す。

「統治体」「ものみの塔」の存在根拠を崩す

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ものみの塔の聖所での粗相と聖書弄び、恥ずかしワード「英米世界強国」

ものみの塔協会初代会長ラッセル君の粗相

最近読んでいるエホバの証人 – STOPOVER(途中下車)。『ものみの塔の終焉』より8章「いいかげんな預言の解釈」

本資料の内容が古く、ものみの塔の予言解釈が改訂がされた部分もあるし、そもそも「そんな予言解釈していない」と闇に葬り去られている所もある。

読んでいて感じるのは、本当にものみの塔の予言解釈が「いいかげん」であるということ。ギャグ。笑い飛ばして終いにしたいが、この予言解釈で人生を大きく損ねた信者が多数いる。

聖書に書いてある

「3時半の間、聖なる民の力を打ち砕く」という記述が

ものみの塔の二代目会長ラザフォードの逮捕で成就したとされている。

3時半が終われば、ハルマゲドンやら復活やら、何もかもの預言が成就しないといけないのに、当然そんなことは起こっちゃいない。

そもそも二代目ラザフォードが聖なる民って。こいつはただのアル中だろ。ものみの塔協会二代目会長ラザフォードの生涯から学ぶ人生の意義

「2300日の間、聖所を汚す」という聖書預言。

これは、「ものみの塔幹部が投票で選ばれた時期を指していた」と解釈。

エホバの証人は投票禁止だから、聖所が汚されちゃったと。しかし、「投票で決めようぜ」って言い出したのは誰か?初代会長のラッセル君なんですが。ラッセル君が自分で粗相しただけ。

こんないい加減な予言解釈をしているのがものみの塔協会。

恥ずかしワード「英米世界強国」

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ものみの塔に預言改訂を提言、あと20年は稼げまっせ。

1914年の世代が生きている間に・・・

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『ものみの塔の終焉』を読んでいる。7章『1914年にキリストは臨在していない』の後半部分。

ものみの塔協会の預言「1914年に終わりの日が始まった」。これが荒唐無稽であることは、昨日の記事も含めて何度も書いた。

今日は、終わりの日の長さ、期間について。終わりの日など始まっちゃいないので、無駄な議論ではある。とはいえ、ものみの塔の設定した終わりの日の長さも矛盾を孕んでいるので、念のため突っ込んでおく。

ものみの塔協会の大宣伝では

「キリストは1914年から臨在しているます。終わりの日は1914年から始まったのです。ハルマゲドンは1914年の世代の人々が生きているうちにやって来ます。終わりは近いのです。」

という設定だった。かつては。

終わりが近いから、皆さん信者になってね。でないとハルマゲドンという終末の日に救われませんよ。という信者勧誘作戦。

私が二世信者としてエホバの証人を強制されていた前世紀には、この主張に筋が通っていた。1914年の世代がまだたくさん生きていたから。

「私たちの齢は七十年、健やかであっても八十年」(詩編90:10)

1914年 + 80才 = 1994年

1914年生まれの人が死に絶えちゃう20世紀末、ノストラダムスより早くエホバの証人の唱える終末ハルマゲドンがやってくるという設定だった。

背教者に預言されていたものみの塔の1995年の預言改訂

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「預言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔

1914年、C・T・ラッセルの思い付き

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)で読んでいる『ものみの塔の終焉』。7章『1914年にキリストは臨在していない』から。

エホバの証人の存在の根源となる1914年の教理、これはC・T・ラッセルの「閃き」だったと本資料の筆者が述べている。

閃き、思い付き、こじつけ。

以前にも書いたが、ものみの塔の権威の根源である1914年の教理は無根拠。聖書内を掘り繰り返して、無関係箇所を関係あるかのように「こじつけ」ただけ。三段跳び論法。

エホバの証人の三段跳びからのハイジャンプ論法

そして、最後に三段跳びからの、考古学を無視した論理ハイジャンプ。

ものみの塔協会の論理ハイジャンプ

三段跳びからのハイジャンプくらいに「こじつけ」てぶっ飛ばないと、ラッセル君の閃きには筋が通らない。「こじつけ」まくっている段階で筋は通っていないのだが。

ハイジャンプだろうが、何だろうが、預言は当たれば良いのだが、いい加減な「こじつけ」預言が当たるはずはなく。

1914年にこの世が終わることになっていて、直前にそれはヤバいとラッセル君は方向転換。「別に預言した訳じゃねぇっす」と訂正したのだが、純朴熱心エホバの証人にそれは届かず。

エホバの証人が1914年に関して夢を見た経験が「1976年エホバの証人の年鑑」から引用されている。

ある晩、わたしはエクレシア(会衆)全体が汽車に乗ってどこかに行く夢を見ました。雷といな光がすると、たちまち仲間の人たちがあたり一面死に始めたのです

・・・

それから突然わたしは死んで、大きな解放感と満足感を味わいました。この古い世に関する限り、万事がまもなく終わろうとしていること、また、『小さな群れ』の残りの者が栄化されようとしていることを、わたしたちがどれほど確信していたか

あいたたた・・・栄化って何すか?確信しちゃってたんすか・・・。

ものみの塔協会の麻薬中毒「預言ハズシても信者減らねぇっす」

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