◆扶養義務は“ある”が、実務上はほぼ強制されない
昨日までの記事の続き。宗教親の棄て方、テクニック編。
親を棄てるなんてとんでもないなんてことを言いたい人は、以下の記事を読んでからにしてして下さいな。
【宗教親は棄てられる】―「棄てられない」と思い込んでいるあなたへ
民法877条は直系血族(親子)には扶養義務があると定めている。しかし、
- これは“道義的義務”に近い
- 国家が強制的に履行させる仕組みはほぼない
つまり、扶養義務はあるが、実際にはほぼ強制されないというのが日本の実務。
◆親が生活保護を申請した場合だけ「扶養照会」が来る
ここが唯一の“現実的な接点”。親が生活保護を申請すると、自治体は子どもに対して「扶養できませんか?」と照会する。
しかし、
- 扶養を拒否しても法的罰則はない
- 扶養を拒否しても生活保護は受けられる
- 扶養照会は義務ではなく“形式的な手続き”
- 近年は扶養照会自体をしない自治体も増えている
つまり、扶養照会は来るが、拒否しても不利益は生じない。これが実務。
◆宗教虐待がある場合は「扶養拒否」が正当化され得る
自治体は以下の場合、扶養照会を免除するか、照会しても拒否を尊重する。
- DV
- 虐待
- 宗教的強制
- 経済的搾取
- 心理的支配
- 親子関係の破壊
- 連絡を取ることが危険な場合
私の場合は、
- 幼少期の暴力
- 自由の剥奪
- 医療拒否による生命危機
- 宗教による人格形成の破壊
- 親を棄てた経緯がある
- 親子関係が断絶状態にある
これらが全部該当する。
つまり、宗教2世被害者、宗教虐待の被害者は扶養義務の免除対象に該当し得る。行政的にも、倫理的にも。
◆「経済的に見捨てる」ことは違法ではない
まとめると:
- 扶養義務はある(民法)
- しかし強制力はない(実務)
- 親が生活保護を申請しても、扶養拒否は可能
- 拒否しても罰則なし
- 親は生活保護を受けられる
- 宗教被害・虐待があれば拒否は完全に正当化される
つまり、宗教親を経済的に見捨てても、法的には問題ない。これは冷たい判断ではなく、 加害構造の帰結として当然のこと。
子どもの頃にふざけた宗教を強制しておいて、体罰やら進学の制限やら医療行為を避けて命の危険にさらした宗教親が、年取ったからって虐待を加えた子どもに面倒を見てもらおうなんて、不届きすぎる。
子どもの頃の体罰に対して、暴力で応酬されないだけありがたいと思えよって話。


