ものみの塔の激しい詭弁とお家芸の恣意的引用、BC607年を崩す。

ものみの塔の激しい詭弁

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。

エルサレム陥落BC607年をこじつけるためのものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。

記事内で専門家の意見を引用しているのだが、その反論がjwstudyで紹介されている。この記事。ものみの塔による決定的な恣意的引用。

VAT4956という天文学関係の粘土板について、専門家の意見を恣意的に引用して自説を通そうとしている。

昨日の記事に続いて、2人目の専門家。

たとえ月食が特定の日に実際に起きていたとしても,粘土板の筆者がその日の事としている歴史情報は正確だということにはなりません。「編纂者たちは,歴史家ではなく,占星術師であった」と,学者のR・J・ファン・デル・スペクは説明しています。そして,歴史の記録を収めた粘土板の一部を「大まかなもの」と述べ,そのような歴史情報は「慎重に用いる」必要がある,と注意しています

これは激しい詭弁で、ここでものみの塔が書いていることには何の意味もない。しかし、マインドコントロールエホバの証人はものみの塔の言いなりなので、こういう文章を無思考で受け入れてしまう。

そもそも、この記事はエルサレム陥落の年代の話で、「月食の日の歴史情報」などどうでもいい。月食の「年」の「大まかなもの」が分かれば十分。バビロニア王ネブカドネザルの年代が分かる。

無関係な細かなコトに文句をつけて読者の意識をそらし、VAT4956の月食から年代を推測するのを妨害しているだけ。

ものみの塔のお家芸、恣意的引用

ここでものみの塔が書いていることが無意味であるだけでなく、専門家の意見をねじ曲げる恣意的引用でもある。

当該のR・J・ファン・デル・スペク教授のメールの引用がjwstudyに掲載されている。

わたしの記事からの引用文そのものは正確なのですが、文脈を無視して引用されてしまっています。わたしが論議していた主張は実際には全く正反対のものなのです

ものみの塔のお家芸、恣意的引用。結論が真逆でもお構いなしに引用してくる。

天体日誌からの歴史的情報に関しても他の資料によって裏付けを取ることがしばしばできるのであって、ほとんどの場合それは正確

20年も年代を前にずらすということなどは全くもって不可能なこと

一般的なBC587年エルサレム陥落をBC607年にするのは不可能ということ。

この種の(ものみの塔のような)論議はしばしば次のような事になります。まず著者は小さな問題を短い文章の中に見つけます。そして一般的な日付とは異なる日付を割り当てて解決しようとするのです。そしてさらに多くの新しい問題を生み出すのです。そして彼らはそれを解決することができません。伝統的な年代の元になる文献資料は圧倒的なので論議をすることさえ時間の無駄に思える


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