はじめに

私の宿命とは

私は、生まれながらのエホバの証人2世だった。両親が熱心な信者だったせいで、14才でやめるまで宗教による苦悩に満ちた生活を送る。その後、親子三人の家族は崩壊、一家離散し現在に至る。

こんなむごたらしい前半生を送ったのは、私の宿命ゆえだった。

私の宿命、それはものみの塔協会を崩壊させること。エホバの証人信者をゼロにすること。完全な私怨だが、もはや宿命、ライフワークであると考えている。

ものみの塔協会に騙されていても構わない。もうエホバの証人組織の中にしか人間関係が築けないという人もいるだろう。そんな人にエホバの証人を辞めろというのは私のお節介だと思うだろう。余計な忠告であると。

それでも、エホバの証人を今すぐにやめるべき。なぜなら、

人生の意味は偽善に満ちた王国会館の中には存在しないから。あなたがエホバの証人であればという条件付きの限定友情は見せかけに過ぎない。そんなものは友情ではない。

また、無数の信者の上に統治し、寄付金や奉仕時間を搾取し続けている巨悪を見逃すことができない。ものみの塔協会が貯め込んだ資産を吐き出させ、年老いた信者の老後資金と社会復帰のための費用に使うべきだ。

エホバでなく、今の自分を最優先に

私がエホバの証人をやめることが出来たのは、今を最優先にしたから。これが限りある人間の生の本質。

ブラッド・ピットの『トロイ』という映画がある。その中にこんな台詞が出てくる。

The gods envy us.

They envy us because we’re mortal.

Because any moment might be our last.

Everything’s more beautiful because we’re doomed.

You will never be lovelier than you are now.

We will never be here again.

神々は羨んでいる

限りある人の命に

いつ死ぬか分からない

終わりがあるからこそ美しい

美貌もいつかは衰える

“今”は二度とない

トロイ (字幕版)

人生は限りあるゆえに価値がある。永遠の命なんか要らない。そもそも永遠なんてものは嘘。自分の人生は自分のためのもの、少なくともものみの塔という組織に捧げるためのものではない勇気を出せばエホバという偽神から自由になれる。

エホバの証人2世から3世への悲劇のループ

エホバの証人をやめて、ようやく私はものみの塔協会がついている大きな嘘に気付いた。ハルマゲドンは来ない。洗脳が解けた瞬間。それでも、その後の私はエホバの証人的思考からなかなか抜け出すことが出来なかった。

ものみの塔協会の嘘については1914年の嘘と1995年の冗談

エホバの証人をやめたいという希望を叶えても、エホバの証人二世はそこから前に進むことに数多の障害がある。私が幼少期から青年期に受けた傷と、崩壊した家族のことを振り返り、これからエホバの証人をやめる人の参考に、失敗作、悪い見本としてくれればそれでいい。

小学生の私が節分の豆まきを教室の隅で見ている。恥ずかしさと情けなさと寂しさのため、鬼のお面を被ってしまいたかった。それも禁止されていることだった。

元エホバの証人2世と従順な現役信者のマインドコントロールからの覚醒を。エホバの証人2世の子供は、エホバの証人3世となり悲劇はループされる。

エホバの証人には懲らしめという体罰が存在する。この体罰もループされる。虐待された子どもは大人になると、自分の子どもを虐待する傾向がある。

悲惨な子供の信者をさらに作るつもりなのか?

自分と同じ苦しい思いをさせるつもりなのか?

苦しい幼年期、辛い少年期、悲惨な青年期を、自分の子供たちに送らせるつもりなのか?

その先に待っているのは一家離散。子供に見捨てられる親。

私の自己紹介はこちら(とてつもない長文ですが・・・)


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