絶対当たらないのが預言、ときどき当たるのが予測~預言するものみの塔は偽者

絶対当たらないのが預言、結構当たるのが予測

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我々は確かに預言などを信じやすいんですけど、修正能力も持っている

この我々というのは人類全般。程度の差こそあれ、人間は太古から預言などを信じやすいようにプログラミングされている。なぜなら、先を予測しないと危険を回避できないから。

天気予報がなければ、傘が無くてずぶ濡れになる。草やぶのような暗がりには危険な生物が潜んでいるのを想像して、原始時代から人間は闇を恐れてきた。年長者の伝承や助言に従うのも、先人の知恵に学び、行く末を案じて生き延びるため。

そんな未来予測全般を無視して、行き当たりばったり好き放題に生きていれば、人類は早晩全滅していただろう。

しかし、たった一度の成功体験から原因と結果の因果関係を決めつけて、当たりもしない験を担いだり、それを他人に押しつけたりというのも人間の性。

そして、この予測という人間の習性に付け込んで悪さをするのが数多の偽預言者。予測の謙虚さ、不確実性を排除し、絶対当たりますと言い切るのが預言。

ズバリ、言ってしまうと、当たらないのが預言、当たるか当たらないかは分からない前提を認めた上で、当たる可能性が高いのが予測。

ハズれた結果を鑑みて修正、さらに当たりやすくなっていくのが予測。初めっから絶対当たるの一点張りで、結果を一切顧みない、ハズれたときにはすべてを失い、時すでに遅しというのが預言。

つまり、絶対当たらないのが預言、結構当たるのが予測。

「預言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔

エホバの証人の全幅の妄信

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