幼児・児童に性的虐待を行う、エホバの証人
エホバの証人は、子どもが小さな頃から過剰な性教育を行う。例えば、”婚前交渉”はNG、結婚しないとセックスやペッティングはダメ、マスターベーション禁止など。エホバの証人の子どもは、小学校に入る前からこんなことを教え込まれる。
ものみの塔の宗教本に載っている悩ましい挿絵、薄暗い寝室のベッドで頭を抱える若者の写真。こんなモノを幼児に見せるエホバの証人は、体罰以外にも性的な虐待を子どもに行っている。
この過剰な性教育は、思春期になると早い性への目覚めと、抑えきれない欲望へ転化していく。私も同様だった。
しかも、思春期に突入した私は、何の娯楽も刺激もない田舎暮らしをしていた。極端に言うと、田舎暮らしには性的なモノ以外に楽しみはない。エホバの証人でなければ、地元のコミュニティに入り、お祭りや子どもの活動などに参加できる。スポーツクラブに入ることもできた。エホバの証人でなければの話。
エホバの証人という宗教を強要されていた私は、思春期に入り異常とも言えるほど性欲の高まりを感じていた。
クラブ活動の選択にまで干渉する、エホバの証人の親
私の通っていたド田舎の中学校では、生徒全員が何らかのクラブ活動に属することが強制されていた。しかも、男子生徒はほぼ全員運動部に入部しており、文化部に入る男は非国民、という風潮があった。
しかし、私の両親は当然のように私を文化部に入部させようとしていた。体力を消耗する運動系のクラブ活動は、エホバの証人活動に差し支えるため。これに対し、私は断固抵抗した。
中学生のクラブ活動が文化部だろうとスポーツだろうと、今の私にとってはどうでも良いし、周囲と違って運動部に入らないのも個性だと思える。
しかし、当時の私はそうは考えられなかった。
中学校に入学した頃の私は成績も良く、10才までは都会育ちたったので、言葉も標準語だった。そのためクラス内では女の子にもてる方だった。また生意気な子どもだった私は、田舎者の周囲の生徒を見下しているようなところがあった。
そんな私にしてみれば、エホバの証人の2世信者だとことが私の最大の弱み。最大の弱みが、究極の弱点だった。この弱点だけで、すべてのプラス評価が打ち消されるほどの弱み。私は、自分が”変人、変わり者、宗教、キリスト”とバカにされるのが我慢ならなかった。
これ以上、宗教を理由に悪目立ちするのは、思春期の私にとって耐えがたいことだった。文化部に入って自分の弱みを増やしたくなかった私は、強引に運動部に入部した。
親失格のエホバの証人
これがエホバの証人だった両親に対し、初めて徹底的に行った抵抗。12才の春のこと。両親にとって、私のスポーツクラブ入部は最大の譲歩。無事に運動部に入れたのは良かったが、私は両親から厳しい条件をつけられた。
クラブ活動に参加できるのは、エホバの証人の集会や伝道活動の無い月、水、金曜だけで、それ以外の日は一切参加不可とされた。本番の試合は土日にあるので、どれだけ練習しても試合に出場することできない。
子どもがやりたいと言っていることに対して、どこまでも妨害するのがエホバの証人の親。そもそも中学生にもなって、子どもにものごとを選択させない親というのはおかしい。
子どもの重大な決断で明らかに間違っているというようなケースでも、親は考える示唆を与える程度にしなければならない。命の危険がない限りは、子どもに自分自身で考えさせ、決定させる。そして、決断の是非を振り返る。こういった習慣をつけないと、自分で一切ものごとを決められない、親の操り人形になってしまう。
ものみの塔の情報統制
エホバの証人は、喫煙や過度の飲酒も禁じられている。しかし、ものみの塔協会2代目会長のチャールズ・テイズ・ラッセルはアルコール依存症だった。
こういった、ものみの塔にとって都合の悪い話はいくらでも出てくる。
初代会長ラッセルの墓が存在し、ピラミッド型のモニュメントになっている。日本のエホバの証人は寺院などの墓に埋葬されることは避けるのに、ものみの塔の開祖だけは墓に丁重に埋葬され、崇め奉られている。
また、初代会長ラッセルと2代目会長ラザフォードはそれぞれ離婚し、夫婦生活に破綻をきたしている。
こういった情報はゴシップ的なモノで、すべてを本当だと決めてかかれないのだが、これらは全てが真実。
なぜなら、ものみの塔はこういった都合の悪い事案をひた隠しにしているから。隠すのは真実だから。あまりにも都合の悪い真実だから。ものみの塔は、信者がこういった都合の悪い情報に一切触れないよう情報統制を敷いている。
偽りならば堂々と反論すれば良い。論争はものみの塔協会の得意とするところ。
ものみの塔協は内部に弁護士を抱え、裁判沙汰を起こしては信教の自由を盾に戦う。争いを避けろ、と信者に指導している割には、論争は大好きな組織。
であるのに、都合の悪い情報を内部信者にひた隠しにしているのは、それらが疑いようのない真実である証拠。
ものみの塔のマインドコントロールの手法
エホバの証人たちは、どこかに監禁されたりするわけではない。あくまでも一般的な生活を送りながら、ものみの塔のマインドコントロール下に置かれる。ものみの塔協会は、次のように信者たちに教え込んでいる。
外部の情報は全て悪魔サタンの誘惑であり、エホバの証人に対する攻撃、今はハルマゲドンが近い終わりの日なので、その攻撃が強まっている。であるから、エホバの証人たちは、”この世”の情報に極力触れてはならない。
エホバの証人にとって禁書とされる背教本こそ、サタンの攻撃。背教者たちはサタンそのもの。であるから、エホバの証人は背教者を避けなければならない。
このようにして、ものみの塔は信者のエホバの証人たちを情報統制下に置いている。
ものみの塔にとって都合の悪いのは、私のような背教者や反対者と、彼らがもたらす新鮮な情報と真実。ものみの塔は、信者たちにそういった都合の悪い人物や情報を自主的に避けさせることで、情報統制を完成させている。
信者たちはハルマゲドンで死ぬのが怖いので、ものみの塔の言いなりになる。そのため、外部の心ある人々の助言には一切耳を貸さない。なぜなら背教者の声はサタンの声、それに耳を貸せば裁きが下るとマインドコントロールされているから。
そして、ものみの塔にとって都合の良いことだけが頭の中に叩き込まれる。概ね次のような教理。
天に神エホバが存在し、イエス・キリストの地上の統治がまもなく始まる。そのとき、この世を浄化するハルマゲドンが勃発。その裁きの日に滅ぼされることがないように、ものみの塔の言うことを遵守し、熱心に伝道活動を行わなければならない。ハルマゲドンを生き延びれば、地上の楽園で永遠の命を享受することができる。そこで人類は完全な身体に生まれ変わる。
完全に冗談話なのだが、マインドコントロール下のエホバの証人はこれを信じ込んでいる。
深く洗脳されながらも、人生の真理に至るエホバの証人2世
ものみの塔の教理は、冗談じみたトンデモファンタジー。しかし、私は20才を過ぎるまでこの世迷言を信じていた。本当に悪い冗談。情報を遮断されると、こうなってしまう。
物心つくかつかないかという頃から、繰り返し、繰り返しのものみの塔の宗教本による洗脳教育。頭に新鮮な情報が入らず、ものみの塔の濁った情報だけが蓄積し、深い洗脳状態に持ち込まれる。意識の底まで、ものみの塔の嘘が刻まれてしまう。
私は14才でエホバの証人をやめたのだが、その理由は洗脳が解けたからではない。
私は、ものみの塔が禁止するマスターベーションを避け続けることができなかった。それゆえ、ハルマゲドンからの生還は不可能だと考えていた。ならばエホバの証人を続ける筋合いは無い。
さらに、一瞬だけでも良いから、今を全力で生きたい、と考えたことが最大の脱会理由。
具体的にはサッカーを思う存分やりたかった。それが、たとえハルマゲドンまでの短い期間であっても構わなかった。
中学生の私は、人間の本質は永遠に生きることではなく、短い生の中の一瞬の輝きにあると考えた。
ここまでモノゴトを考えていても、エホバの証人2世信者の洗脳は解けない。
ただ、中学生くらいになると、何となくものみの塔の言っていることが全部正しいわけでもないと思い始めていた。
人生の真理については、私の考えに一理あるのは事実。しかし、これは答えの分かれる所。例えば、身体に障害のある人が、楽園で完全な体を手に入れたいと願うのは仕方の無いことではないかと、中学生の私は思っていた。
しかし、楽園や永遠の命というのは、全部ものみの塔の創作教理。命はこれ一回きり。どんなふうに生まれようが、この一度きりの生涯で勝負するしかない。それが残酷で美しい真実。
エホバの証人の王国会館は、欠陥人間の集まり
中学生になった私は、ものみの塔の言っていることが1から10まですべて正しいわけではないと思い始めていた。1990年代中頃のこと。
エホバの証人の王国会館※は、明らかに欠陥人間の集まりだった。そんな空間で、一言一句不備の無い真理が伝えられるとは到底思えなかった。
※王国会館とは、エホバの証人の集会所のこと
このような不完全な集団が、ハルマゲドンを通過し完全な人間に生まれ変わる、というのがものみの塔の教理。
しかし、それにしても不完全過ぎないか?というのが私の印象。
四肢に障害があったり、とんでもない肥満者だったり、子どもにしてもアトピーのような病気がちだったり、極端に学校の成績が低かったりという集団。単純に魅力的でない、恵まれない人々が集まって傷を舐め合っているだけに見えた。
しかし、そういった人々を救うのが、愛にあふれ弱者に優しいキリスト。
それでも私は、王国会館で伝えられることのすべてが真実というわけではない気がしていた。
でき損ないの講演者によって伝わり方が変化したり、思い込みの注解※がされたりすることで真理が捻じ曲げられていると感じることがあったから。
※注解とはものみの塔の宗教本討議の設問に対して挙手の上、回答すること
ものみの塔そのものが間違ったメッセージを発信していると感じることもあった。教団の宗教本にあからさまな矛盾があったり、ツッコミ所があったりする。
そして、私はキリストの救いなど、必要とはしていなかった。
予言解釈をハズしたとき用の、ものみの塔保険
ものみの塔は、故意なのか苦し紛れの偶然なのか、教理の不備について保険をかけている。
昔から、ものみの塔は予言解釈をハズし続けている。本来は、1914年にハルマゲドンが起こり、この世の事物の体制が終わるとされていた。はたまた1975年が終末予定だったこともある。
しかし、周知の通りハルマゲドンなど起こっていない。
ものみの塔協会は、終末の予言解釈をハズすたびに、「エホバ神からの”新しい光”が降りました」と、予言解釈を訂正する。神からのメッセージを不完全な人間が間違えて伝えてしまった、と謝罪もなく前言撤回。
神からのメッセンジャーの役割を果たす統治体も完璧ではない。この逃げ道が用意されているせいで、ものみの塔の言っていることの大筋は正しいと私は思い込んでいた。
※統治体とは、エホバの証人の最上層に位置する指導・意思決定機関
大原則に付帯した細かな教理には疑問の余地が充分にある。しかし、私はエホバとキリストがいて敵対するサタングループも存在する、ハルマゲドンは絶対に起こる、というものみの塔教理の本流部分は信じ切っていた。
ハルマゲドン後の楽園で永遠の命を享受するためには、ものみの塔の言うことを聞くしかないと、私は深く深く洗脳されていた。