3度の奇跡的生還と生かされるということ
私は生まれながらのエホバの証人2世で14才のときに自分の意志でエホバの証人を脱会。20才を過ぎて、ようやくものみの塔の洗脳が解けた。その後は自堕落な生活を送り続けた。
そして3度も交通事故を起こす。すべて自動車が全損する大事故。しかし、私は3度の交通事故から奇跡的に生き残った。これには何らかの意味があると私は思っている。それぞれの時に私はまだ死ぬべきでは無かったということ。
3回とも車自体は大破したものの、私自身は無傷。何らかの力に生かされていると感じた。
こんなスピリチュアルな考え方をするのが、ものごとを信じ込みやすいエホバの証人チックな性格だとも言える。ただ、私の父親にも同じような経験がある。
父は私に続いてエホバの証人をやめた。そして未だエホバの証人だった母との関係がこじれて、私の家族は崩壊。
一家離散した後、父は国内を放浪していた。その放浪中に何度か一文無しになって、もう死ぬしかないという状態に陥る。そして最後のなけなしの金でパチンコ屋へ入る。すると必ずフィーバーし、命を救われたのだという。
父の死期もその時では無かったということ。それぞれ生き残ったことによって、遂に父と私は数年ぶりに再会。
人間には死期がある。それまでにやるべきことやり、成すべきことを成す。
エホバの証人2世だった経験を伝えることが私の使命
“ものみの塔聖書冊子協会を破滅に導くことが私の使命” の続きを読む