子供にとって悪影響でしかないエホバの証人という宗教

傷付けられるエホバの証人2世の子供たちの自尊心

エホバの証人2世の最も大きな特徴は他者の視線を必要以上に気にすることである。これには小さな頃から奇異の視線を浴び続けて育ったことが影響している。学校の行事に参加しないことで同級生や先生からは変わり者扱いされる。親族からも心配され、憐れみの視線を投げかけられる。隣近所にも伝道と称して子供自らがブザーを押すことを求める親もいる。私の親はまさにそうだった。

中学生の頃になると同級生のいる地区を伝道で回るのが何よりも嫌だった。しかし私の両親は完全にものみの塔協会の洗脳下にあったので、同級生の視線を嫌がる私の信仰が弱いと信じ込んでいた強制的に同級生の生徒が住む地区をカッターシャツにネクタイを締めて回らされたのである。これは私がもう王国会館にも伝道奉仕にも行かないと両親に宣言した中学2年生の秋まで続いた。思春期の多感な時期に、親から嫌がらせとも思える理不尽な扱いを受けたのである。

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エホバという恥の象徴

エホバへの依存を深めるものみの塔教会から与えられる試練

1993年1月にアメリカ合衆国の大統領が改選された。私は小学校6年生だったのだが大統領選挙のニュースに戦々恐々としていた。ものみの塔教会の本部はニューヨークのブルックリンにあるので大統領の改選によりエホバの証人への迫害が始まるのではないか。そんなことを子供ながらに恐れていたのを思い出す。

私はエホバの証人のことを世間から爪弾きにされているとても弱い存在であると感じていた。私は信仰を守るというより、無難に何事も無く生きていければと願っている子供だった。しかしエホバの証人の子供にとってそれは許されないのである。乗り越えられるのだが自身の自尊心は極めて傷つくという微妙な試練がやって来るのである。

それがエホバの証人の教義の特徴である。信仰を試すような機会があえて教義に含まれている。それを乗り越えることでエホバの証人という組織への未練と執着が強まりますます組織から離れにくくなる

考えてみれば信教の自由と個人の尊厳が保障されている日本ではエホバの証人に与えられる試練はそれほど困難なものではない。逆に難しいのは、エホバの証人の組織から思い切って抜けることである。これは深い洗脳状態に無い場合でも同じことだ。エホバの証人組織の教義や方針に疑問を感じていても今までに支払った犠牲と時間が惜しまれてしまう。エホバの証人組織の外にまともな人間関係を築いて来なかったことも影響する。変化を恐れ生ぬるい馴れ合いの王国会館に慢性的に通い続けてしまうのである。

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禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人2世にとって苦痛となる学校生活

エホバの証人の2世は学校の給食の前に合掌のポーズをとることが禁止されている。これが私にとっては大問題だった。小学生から中学生に至るまでの全ての給食の時間が私には苦痛だった。

毎日毎日、給食の昼が来るたびに憂鬱な気分になる。そんな学校生活がエホバの証人2世の日常。クラス内の全員が手を合わせて、「いただきます」という時に、私だけ両手を握り合わせた祈りのポーズをとらなければならない。

今となっては人と同じことをしないということは、そんなにも悪くないことだと思うのだが、子供の頃にはこれは恐怖だった。周囲の同級生に好奇の目で見られることがたまらなく嫌で、辛かった。

他者の視線と変化を恐れるエホバの証人2世

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命がけのものみの塔崇拝

さらなる必要の大きな所へと派遣されるエホバの証人の若者たち

国内にとどまらず、海外へ派遣されていくエホバの証人の若者も存在する。紛争状態となっているような危険な土地やエホバの証人という宗教が禁令されている迫害下の国などへも飛ばされていく。そういった話が、この教団内では美談として語り継がれているのだ。

自分の子供がそういった異常に必要の大きな土地へ行ったなどという話を、親の信者たちは誇らしく思っているのである。エホバの証人の2世たちは、そういったプレッシャーを受けて命の危険も恐れずにさらなる必要の大きな場所へと不要で無意味な”ボランティア”活動をしに行くのである。

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エホバの証人2世がエホバから完全に自由になることの困難さ

無意識下に残るエホバの証人的思考

ものみの塔協会の洗脳状態からの解放に至っても、私は未だにエホバの証人的なものの考え方からは自由にはなれなかった。エホバの証人のこうあるべき、かくあるべきという決めつけ型思考を捨て去ることが出来なかったのである。

私の20代はいかにしてエホバの証人らしく生きないかということを重視しすぎることになった。エホバの証人を辞めたので、反ものみの塔的生き方をしなければならないと思い込んでいたのである。これが無意識下に残るエホバの証人的思考だった。

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自意識過剰なエホバの証人2世

多くの視線にさらされるエホバの証人2世

エホバの証人二世の子供は、常に多くの視線にさらされている。その視線が本当に有るにしろ無いにしろ、エホバの証人2世の子どもは、いつも他者の視線をひどく気にしている。

両親や他のエホバの証人信者からは、ものみの塔協会教義を遵守しているか監視され続ける。親同士の密告、子どもの同士で親に言いつけられることもしばしば。

エホバの証人でない大人からは、哀れみの視線を受ける。親に布教活動のために野外を連れまわされていると、偉いねと言われつつ「可哀そうに」という視線を強く感じた。

エホバの証人の子供たちは、信者でない人々が無知だから哀れむのだと教えられる。実際に私はそう信じていた。本当に無知なのはものみの塔協会に騙され、搾取されているエホバの証人の方で、周囲の一般人の感覚が正しい。

エホバの証人には厳しい戒律が存在するので、学校のほとんどの行事には参加できない。不参加を先生に表明する度に先生の不信の視線を浴びる。行事に不参加でも見学を余儀なくされる。

見学中は同級生の好奇の視線を浴びる。子供社会において、このエホバの証人の子供の行動は、いじめの対象にして下さいと自らお願いしているようなものだ。

給食の前にはエホバの証人の子供は合掌が出来ない。皆が「いただきます」と手を合わせているときに、一人だけキリスト教の祈りのスタイルを取らなければならない。両手を握り合わせたポーズ。ほとんど変態である。

給食の前には常にこの苦痛の時間があり、クラスメイトの好奇の視線を一身に浴びる。これでそっとしておいて欲しいという方が、珍しいもの大好きな子どもの間では土台無理な話。いじられまくり、最終的にはいじめに発展する。

果てには、神エホバやキリストの視線にまで、エホバの証人の子供は怯えるようになる。エホバの証人には、ものみの塔協会の掟に従わないとハルマゲドンで滅ぼされるという恐怖心がある。

ものみの塔協会の洗脳が最終段階に達すると、そのジャッジメントのために神エホバが我々を監視していると感じるようになる。

このように、エホバの証人2世の子どもは有象無象の視線に常に怯えている

自意識過剰な大人へと育つエホバの証人2世

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