復活と裁きのエホバの証人の教理の矛盾
ネットでダウンロードできるJW解約資料を読んでいる。JW解約-エホバの証人の真理を検証する。第4弾の「神の経路と奴隷級」より。
この資料を読んで知ったのが、エホバの証人の最終の裁きについての教理の矛盾。エホバの証人に遭わないまま死んだ場合、真理を知らなかったということで不義の復活というオプションサービスがある。これは昨日の記事で触れた。
ところが、エホバの証人に遭わないまま、ハルマゲドンという裁きの日を迎えると滅ぼされてしまう。ものみの塔の教義ではそういう設定。どうせハルマゲドンは来ないので、何の問題もない。とはいえ、教義に矛盾があるので一応突っ込んでおく。
運悪く(本来は最高に幸運なのだが)、エホバの証人に遭わずにハルマゲドンが来ると、愛溢れる神エホバにより滅ぼされるという設定。
逆に、運悪くも(本来は最高に幸運なのだが)エホバの証人に遭わずに死んだ場合は、ハルマゲドン後に復活するという設定。これが不義の復活。
不運にも(本来は至上の幸運)、エホバの証人に遭わなかった両者の違いはいったい何か。公平であるエホバ様のお裁きとはとても思えない。強烈な矛盾。
私がエホバの証人であることを強制されていた子供の頃の記憶。ハルマゲドンまでにエホバの証人に遭遇しなかった人は、生き残れると思っていたのだが、どうやらそれは間違っていたらしい。
間違っているも何もハルマゲドンは来ないし、ものみの塔協会が勝手に決めた設定なのでどうでも良い。しかしながら、これでは明らかな矛盾があるので、ものみの塔協会はこの教義は直した方がいい。
よーく考えたら矛盾しているので、エホバの証人にさえ遭わなければ皆生き残れることになりましたと。いったい人の命を何だと思っているんだか・・・
エホバの証人の楽園禁欲ライフ
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