エホバの証人の教材暴露:レッスン02夢物語の聖書希望と信者の現実逃避

エホバの証人と聖書の夢物語

聖書の夢物語は不健康

エホバの証人の初学者マインドコントロール用のテキスト『いつまでも幸せに暮らせます』。そのレッスン02『聖書を読むと希望が持てる』。

エホバの証人の教材暴露:レッスン01入り口の罠を見抜けるか

序盤も序盤なので、この辺りはまだそんなに怪しいことは書いていない。聖書には将来の希望が書いてあって、それを信じれば心安らかに生きられる。この程度。

うさん臭い点は、聖書に書いてある将来の希望が必ず実現する、と断言していること。それをこれから調べていこうと、次章以降へ引っ張っている。

ここに書いてある希望は、人類が復活するとか、病気が無くなるとか、永遠に生きるとか、戦争が無くなるといった夢物語。

こんなモノが実現するわけがない。これを将来の希望として生きるなんてのは現実逃避で不健康そのモノ。

エホバの証人の言う、前向きに生きるとか、人生が明るくなる、というのはこの程度のモノ。強く妄想を抱き、騙されて現実から目を逸らすようにしているだけのこと。

聖書の非現実的希望

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エホバの証人の教材暴露:レッスン01入り口の罠を見抜けるか

あえて暗闇を歩かなければ、ランプは必要ない

エホバの証人のレッスン01、インチキを見抜けるか?

エホバの証人の初学者マインドコントロール用教材『いつまでも幸せに暮らせます』。そのレッスン01『聖書はどのように役立つ?』

基本的にこの辺はうさん臭いことは書いていない。聖書は有益だという、教団側の意見を述べているだけ。

なのだが、聖書はエホバの証人が言うほど有益ではなく、使用方法によっては有害ですらある。

面白半分でエホバの証人とレッスンを始めた人、自分は騙されないという自信がある人、レッスン01終了段階で怪しいと思っていないのなら、騙される素質あり。お試しはやめるべき。そのまま引き返せなくなる。

あまり怪しげなことは出てこないが、本を読まない若者が聖書なら読むという、ご都合動画『聖書を読むこと』が載っている。

この動画に違和感を覚えなかった人は、そのまま続ければズルズルと騙される。聖書を読みたくてたまらない若者ばかり出てくるのだが、そんなわけない。これはサンプルになっている母集団が怪しい。

若年層が読書離れしているけど、聖書なら読みたがっています。って・・・そんな奴、100万人に1人くらいだって。

若年信者かその辺でアルバイトを雇って撮影したのか、シナリオ通りに喋らせているのだろう。

実は、この教材、序盤からこういったインチキ臭い仕掛けをしている。最初のレッスンからこの怪しさ、教団全体の怪しさがそのままここに反映されている。

このレッスンの結論、別に聖書を読みたいとは思わない。読む必要も感じない。

狡猾なエホバの証人のものみの塔レッスン、入り口は入りやすく?

エホバの証人に聖書レッスンを受ける必要はない

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エホバの証人の聖書、神「のような」者は神だろ・・・

三位一体を否定したいから否定しているエホバの証人

「真理」は求め続けた者だけに・・・

エホバの証人がモノホンである証拠として自称しているのが、「エホバの証人だけが真のクリスチャンとして選り分けられている」という論調。

エホバの証人のマインドコントロール用教材の『いつまでも幸せに暮らせます』レッスン19『エホバの証人は本物のクリスチャン?』でもこの点に触れている。

1世紀のキリスト以降、19世紀にエホバの証人が登場するまでに「キリスト教は背教に走ったのだが、初期のエホバの証人は聖書をきちんと調べ、聖書の真理を見極めた」とか何とか・・・

初期のエホバの証人にしても、見極めたモノを真理だと思っちゃうのが甘ちゃんなんだけど、さらにこれに騙されている末期のエホバの証人が全世界に800万人。

「真理を見つけた!」って安心できる方が楽だから、自堕落な人々は安易に楽な方に流されていっちゃう。コロッと騙されちゃう。求めるのをやめちゃう。違うだろ。聖書にゃ、「求め続けなさい。探し続けさい。」って書いてある。そんな簡単に「真理」は見つからないんだよ。

ChatGPTとの対話、エホバの証人は間違っているのか?

「のような」者。

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聖書を科学的、歴史的に正しいと捉えることの愚かさ

聖書は、誇張された物語

やはり、兵力差ではイスラエル有利

昨日の記事の続き。聖書のデボラとバラクの話。圧倒的不利なイスラエル人を、神の奇跡が勝利に導いた設定なのだけど・・・。ChatGPTで壁打ち中。

「イスラエル人は1万人から4万人、対するカナン軍の戦車900、兵力差でもともとイスラエル軍が有利だったように感じますが?」

ご指摘いただきありがとうございます。確かに、物語の情報に基づくと、イスラエル軍が1万人から4万人で、カナン軍が900の戦車を持っていたことから、兵力の数ではイスラエル軍が有利であるように思えます。ただし、この物語は信仰と神の介入に焦点を当てており、兵力の差よりも神の導きと信仰の意味合いが強調されています。

デボラとバラクの物語は、神の指導の下で、兵力の数にかかわらずイスラエルが勝利を収めたとされています。バラクはデボラの指導のもとで神に従い、その結果として勝利を得たとされています。この物語は、信仰、神への頼り、そして神の力が最終的な勝利に導いたことを強調するために語られています。

したがって、物語は単に兵力の差を強調するものではなく、信仰と神の介入が重要な要素として浮かび上がっています。この点を考慮に入れると、物語のメッセージがより明確に理解できます。

聖書の非科学的描写とご都合主義、鳥と獣の儀式の科学的根拠を問う

聖書は誇張の物語ということでよろしいか?

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イスラエル軍10,000 vs カナン軍900の戦い、彼我兵力差100対9

聖書中の女予言者デボラ

女予言者デボラとは・・・

ChatGPTの調教記録。

「聖書のデボラの記述を説明して下さい」

聖書の「デボラ」は、旧約聖書の一部である「士師記」に登場する重要な人物です。デボラは、古代イスラエルの歴史において、預言者、裁判官(士師)、軍事的な指導者として登場します。彼女の物語は主に士師記の章4と5に記述されています

以下に、デボラの主要な特徴と役割について説明します:

預言者: デボラは預言者としても知られており、神から啓示を受け、人々に神の意志を伝えました。士師記4:4によれば、「イスラエルを治めていたのはラピドトの妻、女預言者デボラであった」と記述されています。

裁判官(士師): デボラはイスラエルの裁判官または士師としても活動しました。彼女は人々が紛争を解決し、神の道に従うように導く役割を果たしました。

バラクとの協力: デボラは、士師記4において、イスラエルの敵であるカナン王ヤビンの将軍シセラに対抗するために、イスラエルの軍を指導するバラクと協力しました。バラクはデボラの指導の下で戦争を指揮し、勝利を収めました。

歌: デボラとバラクがカナンの軍勢を破った後、デボラは士師記5において感謝の歌を詠みました。この歌は「デボラの歌」としても知られており、彼女の指導力と神への賛美が含まれています。

デボラの物語は、古代イスラエルにおける女性のリーダーシップと神への信仰を強調するものであり、聖書の中で特筆すべき人物の1人とされています。彼女は預言者、裁判官、軍事的な指導者としての多くの役割を果たし、イスラエルの歴史において重要な影響を与えました。

分かりやすい説明。エホバの証人の新世界訳聖書だと、なぜか「裁き人」となっている「士師記」。今回のターゲットはバラクの話。バラクがイスラエル代表として、カナンのヤビン王とシセラ将軍と戦った話。

イスラエルとカナンの戦い

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「終わりの時代」のしるし、「宗教の偽善」を体現するエホバの証人

偽善の宗教、エホバの証人

別に、「家族の絆」は弱まっていない

昨日までの記事の続き。エホバの証人的「終わりの時代」のしるしが現代で実現していないことを明らかにするシリーズ。最終回。

現代人のモラルは、ソドムとゴモラ、ロト親子よりはマシ

昨日までの内容で、エホバの証人的「終わりの時代」のしるしがひとつたりとも実現していないと書いた。

今日は、「家族の絆が弱まる」から。こんな量りようのない、曖昧なことは本来しるしになりようがない。むしろ、家族の絆が弱まっているのはエホバの証人の家族だけではないのか?わが家もエホバの証人が理由で一家離散した。

仕方がないので、むりやりエホバの証人的「終わりの時代」以前と現代を比べてみる。

例えば、兄弟間で殺人のあったカインとアベルの話。寓話なのだが、人類最初の殺人だった。これは、当時の家族内殺人発生率100%。1家族しかない状態で家族内で殺人が起こっている。

当然、現代はそんな高さではない。兄弟殺しなんてなかなかレアだろう。カインアベルレベルで起こっていたら、人類はこれほど繁栄していない。

エホバの証人が信じる人類の歴史では、当初から兄弟間で殺人があった。それに比べれば、特に現代において「家族の絆」が弱まっているとは言いがたい。むしろ、人類最初の家族以来、エホバの証人の周囲だけで「家族の絆」が弱まっているだけなのでは?

「家族の絆」が弱いのはエホバの証人だけなのでは?

聖書迷子のエホバの証人

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エホバの証人のキリストは、なぜか2回降臨。初回は地味だけど。

エホバの証人のキリスト、2回目の降臨こそはド派手に

天と地と、エホバの証人主張の矛盾

昨日の記事の続き。

マタイ24章29-31

その期間の患難のすぐ後に,太陽は暗くなり,月は光らず,星は天から落ち,天の力は揺り動かされます
その時,人の子のしるしが天に現れます。そして,地上の全ての民族は胸をたたいて悲しみ,人の子が力と大きな栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見ます。
そして人の子は,大きなラッパの音と共に天使たちを遣わし,天使たちは,四方から,天の果てから果てまで,選ばれた者たちを集めます

マタイ24章の記述だと、天変地異が起きてから、世界がキリストの臨在を見て嘆き悲しむ。そして、ラッパが吹かれる。このラッパはテサロニケ第一4章のラッパと同じ。

テサロニケのラッパは、もろにキリストの臨在と同時に吹かれるモノだった。

テサロニケの信徒への手紙一4章15-16

主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。
すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、

エホバの証人の1914年臨在設定だと、1914年に、人類には聴こえないラッパが吹かれてキリストが臨在。過去の義人の天への見えない復活が起こっている。これはテサロニケのラッパ。そして現在に至る、今ここ、大患難待ち。

マタイの記述からすると、大患難が起きると、もう一度キリストの臨在っぽいことが起こる。満を持してキリストが再登場。これは全世界が見ることになる。そして、オレみたいな反抗的な奴が泣きを見る。

それで、再度ラッパが吹かれる。これで地上の義人が天に召集される。こいつらが、地上で生き残っている統治体ほか、という設定。

ここは、聖句を読むと矛盾がある。マタイでは「天の果てから果てまで、選ばれた者たちを」集めると書いてある。この時点では、統治体は地上で生き残っているから、天から集められるのはおかしい。

そのため、エホバの証人の文献では、この部分はマルコから引いていることが多い。マルコ13章27節

人の子は天使たちを遣わし,四方から,地の果てから天の果てまで,選ばれた者たちを集めます

ここはかろうじて、「地の果てから天の果て」となっているので、エホバの証人的に、地上から天に召喚される設定の統治体を含む、と読ませている。

とはいえ、この時点で、天から、つまり既に死んでいる者の天への復活はエホバの証人的に起こらない。1914年の第1次ラッパで召喚されている設定なので。

なので、この部分はエホバの証人的には「地の果てから地の果て」でないとおかしい。マルコでは「地-天」、マタイでは「天」のみなので、少なくとも「天」が必須。

だから、1914年に過去の義人が天に復活しているなんてのは、早とちりも良いところ。特大フライング。

エホバの証人のキリスト臨在は、リハーサルあり

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聖書予言、エホバの証人の神のラッパは誰にも聴こえない

聴こえないエホバの証人の神のラッパ

エホバの証人の神のラッパは、誰にも聴こえない

昨日の記事に続いて、キリストの臨在について。

エホバの証人組織は、どうしてもキリストの臨在が1914年に起こったことにしたい。1914年に臨在したキリストが、エホバの証人の統治体を任命したと、自称している。この理屈が通らないと、信者の上に君臨できない。

聖書の記述と照らし合わせていくと、このエホバの証人の設定に無理があることが見えてくる。

テサロニケの信徒への手紙一4章、共同訳から

15節

主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。

エホバの証人の新世界訳では、「主が来られる時」は「主の臨在」と訳されている。なので、この部分はエホバの証人的には1914年に起こったことが記述されていることになる。続く16節

すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、

キリストの臨在の際、合図の号令、大天使の声、神のラッパというド派手さでキリストが天から降ってくる。と書いてある。

当然、こんなことは、エホバの証人の言うところの1914年には起きていない。

エホバの証人的には、「すべて霊的なことなので、人類には見えない」という設定で逃げている。1914年に復活したのは過去の義人で、天に復活しているので。

合図の号令、大天使ミカエルの声、神のラッパ、これだけ揃っておいて、人類には聴こえないってのはどうしたことだろうか?エホバの証人設定には無理がある。

臨在が、聖書の読み手である人類の誰にも見えないモノなのだとしたら、聖書筆者は、こんなド派手演出として表現しないだろう。

またも、マタイ24章から

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マタイ24章から、エホバの証人のキリストはコソコソと降臨した

稲妻は誰の目にもとまる

キリストのド派手な降臨

聖書のマタイ24章、キリストの臨在と体制の終結のしるしについて書かれている箇所。

この章では、エホバの証人組織のような偽予言者の出現が何度も警告されている。しかし、当の末端エホバの証人信者たちは、現在進行形で自分たちが騙されていることに気付きもしない。

エホバの証人にも分かりやすいように、恣意的な欠陥翻訳であるエホバの証人の「新世界訳」聖書から引用。

JWの新世界訳聖書の鼻あらしとは

マタイ24章27節

人の子の臨在は,東から出て西に輝き渡る稲妻のよう

空に輝き渡る稲妻のよう、というのは誰もが見るということ。

カーテンを閉めた部屋にいても、稲妻が空を走れば気付く。地下室にいたとしても、光は見えずとも雷鳴は聞こえる。核シェルターみたいな、よほどの防音地下室にいない限りは、誰もが稲妻に気がつく。

この聖句には、キリストの臨在は、誰もが気づくほどのド派手さでやってくるということが書かれている。

既にこの時点で、エホバの証人の主張はハズれている。

エホバの証人の設定ではキリストの臨在は1914年。これは、エホバの証人の統治体が権力を握り、信者を牛耳るために必要な設定。1914年にキリストが臨在し、その後、現代の統治体が任命されたことになっている。

1914年が崩れると、エホバの証人の統治体は権威付けを失う。つまり、ニセモノ、偽予言者ということになる。

エホバの証人のキリストはコソコソ降臨

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聖書は警告している、偽予言者「エホバの証人」に騙されるなと

なぜ、偽予言者に騙される?

エホバの証人のことが予言されている聖書

エホバの証人のことが、予言されている箇所を聖書で発見。

新共同訳聖書より。

テサロニケの信徒への手紙二2章2節

霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。

これは、神との唯一の経路を騙る、エホバの証人の統治体のような者がいても、相手にするなという警告。キリストが臨在しているやら、終わりが近いやら、人々を煽っている者がいても、聞く耳持たずという姿勢が正しい。

テサロニケの信徒への手紙二2章3節

だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。

だまされるなと、ハッキリ書いてある。「だれがどのような手段を用いても」と書かれている。当然、エホバの証人の統治体も、世界中で行なわれている活動もこの中に含まれている。騙されるな。

3節の後半は、エホバの証人の新世界訳聖書の方が愉快なので、新世界訳から再度引用。

まずじて,つまりびるらかにされてからでなければ,そのないからです。

背教者エホバの証人こそが、不法であり滅びる者であることが明らかになると、その日がくるらしく。

ものみの塔の統治体は、時代ごとに現れる偽予言者のひとつ

偽予言者として予告されている、エホバの証人

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