苦痛に満ちた少年時代

エホバの証人2世が初めて気付く違和感

私は小学校に入る1986年に1度目の引越しをすることになる。エホバの証人の会衆は変わらず小学校が隣の校区へ変わるだけだった。エホバの証人2世の子供は幼稚園や保育園といった幼児教育を受けないので仲の良い友達との別れというようなものは無かった。

そもそもエホバの証人2世の幼児にとってはエホバの証人の世界がほぼ全てである。引越しした先で小学校に入学した私は初めてエホバの証人以外の社会に触れることになった

引っ越す前に同じアパートに住んでいた男の子が地元のお祭りに行こうと”はっぴ”を来て誘いに来てくれたことがあった。お祭りは突き詰めると八百万の神々に対する感謝の行事なので異教のものとしてエホバの証人にとっては禁止事項である。私は母親に遮られてお祭りに行くことは出来なかった。

この時に感じた違和感を小学校生活では常に味わうことになる。この違和感に気付いたときはすでに遅すぎた。両親は後戻り出来るような健全な脳の状態をしていない。完全なものみの塔協会のマインドコントロール下に置かれていた。子供の私が何を言っても始まらない。待っているのはこらしめと呼ばれる体罰である。

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体罰全面禁止の国のエホバの証人

体罰の悪影響

体罰は身体的な痛みだけでなく精神的な痛みを伴う。みじめさや恐怖心は子供の心の成長に悪影響を及ぼす。これは科学的な調査によって明らかにされている。アメリカ合衆国で2002年に発表された体罰の研究成果がある。

体罰を受けて育った子供は、その時には親の言うことを聞くという一時的「効用」があるが長期的には

  • 攻撃性が強くなる
  • 反社会的行動に走る
  • 精神疾患を発症する

などの副作用があることが分かっている。

これはまさにエホバの証人2世としてこらしめというを暴力を振るわれて育った私にまさにあてはまっている。精神疾患は辛うじて免れていると思いたいが、私は攻撃性の強さと反社会的行動で20代を走り抜けてしまった。

体罰を受けて育った子供は言葉や社会性の発達にもはっきりと遅れが見られるのである。体罰には良いことなど何もないのだ。日本は違うのだが体罰を法律で禁止している国が世界に52ヵ国もある。

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唯一の真理とは程遠いエホバの証人

エホバの証人2世の同級生

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。禁止事項の多いものみの塔協会の教義を厳格に適用され幼少期から少年期を過ごすことになった。14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。そしてエホバの証人2世だったことなど素知らぬ顔で高等課程へ進学したのだった。いわゆる高校デビューである。この学校は自宅から1時間ほど離れていて私のエホバの証人2世だった過去を知っている人はほとんど進学していなかった。

しかしこの学校には他の中学校からエホバの証人2世が進学してきており、偶然にも同じクラスに2人も2世信者がいた。1人は献身までしているという。どうやら私が元エホバの証人2世であるということをあちらも知っていたようだが、特別に私にエホバの証人という関係性で接触してくることはなかった。こちらとしてもそれは大歓迎だったので素知らぬ顔でいることにしたのだった。

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エホバの証人2世の高校デビュー

エホバの証人2世の高校デビュー

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。14歳のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。私がエホバの証人をやめる中学生までの友達というのは現在の私には一切存在しない。エホバの証人2世だったという暗く辛い過去を思い出すのでその頃のクラスメイトの顔など今でも見たくないのである。

中学生までのクラスメイトには私が変わり者のエホバの証人2世であるということが十二分に知れ渡っている。学校の給食の合掌のときには手を合わせないしクリスマス会にも参加しない。週末になると妙にかしこまった格好をしてボランティア活動と称して家にやって来る。ものみの塔協会の勧誘活動のためである。私は随分と危険な奴だと認識されていた。自ずと中学校以前の同級生との交流は廃れていった。

私にとって幸運だったのは家からだいぶ離れた高校へと進学したことである。いわゆる高校デビューである。エホバの証人2世ではない新しい自分として高校生活を始めたのだった。そしてさらなる幸運なことは30歳を超えた今でも交流がある友人たちとこの高校時代に出会えたことである。

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遅効性のエホバという毒

消滅するエホバの証人の人間関係

私はほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。両親はともに熱心なエホバの証人で9歳のときに田舎に家族で引っ越すことになる。私は田舎の中学校に通うことになったのだが同学年にエホバの証人2世が私を含めて3人いた。我々エホバの証人2世3人はものみの塔協会が禁止している学校の行事などには参加しないというスタンスで足並みを揃えていた。

しかし私は中学2年生のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。私がエホバの証人をやめたことで他のエホバの証人2世の2人との交流は無くなった。もともとお互いにエホバの証人2世だったという理由でつながっていただけの関係である。誰かがエホバの証人組織をやめればその関係は消滅するのである。

エホバの証人をやめることでエホバの証人組織の人間関係はほぼ全て失われる。むしろエホバの証人をやめる側の当時の私からすれば、気味の悪い新興宗教団体に属している人間との接触は避けたいのである。またエホバの証人組織の人間に関わると自分のエホバの証人2世として育てられたという暗い過去を思い出すことになる。

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エホバの証人の父親の暴力

エホバの証人の父親の暴力

私はほとんど生まれながらにしてエホバの証人2世だった。両親ともに熱心なエホバの証人で子供の頃から厳格なものみの塔協会の教義を押し付けられて成長した。父親はエホバの証人の会衆の長老だったが私は何度か物を投げつけられたことがあった。小学生の高学年から中学生2年生で私がエホバの証人をやめるまでの頃の話である。

まさか本当にぶつけようとして投げつけてきた訳ではないのだろうが私の顔のすぐ真横をかすめていった固い物体が部屋の壁に大きな穴を開けたことがあった。私が避けずにいれば怪我は免れなかった。原因は私が父親の言うことに反抗したからである。

まずエホバの証人とは関係ないところで行われる行事に参加したいと私が言い出す。学校の行事以外で地区の子供会などで行われるキャンプや日帰り旅行などである。それを父親はダメだと言う。

私もまさか地元の祭りに参加したいなどとは言い出さない。他宗教の行事であるため祭礼への参加や神社への参拝などはエホバの証人にとっては禁止事項であるからだ。私が小学校に入る前のことである。同じアパートに住んでいた同じ年頃のトシ君が青い祭りのハッピを着て私をお祭りの屋台に誘いに来る。私が家を出ようとすると祭りの屋台に行くと知った母親が「絶対にダメ」だと言い出す。泣く泣くトシくんに行けないと告げ自宅でしょぼんとしていたものである。

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エホバの証人とテレビ放送

エホバの証人の組織への忠誠度の測り方

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。私の家庭で一番優先されるのはものみの塔協会の教義だった。家の中でも家庭聖書研究と称してものみの塔協会の出版物を使った洗脳教育が行われていた。出版物の本文を朗読して決まった質問が父親か母親から出される。たった今朗読した狭い範囲の中から答えを探し出して解答する。この反復学習により深いマインドコントロール状態へとエホバの証人は陥っていくのである。

この家庭聖書研究が終わるとようやく家の中で遊ぶことが許される。私は一人っ子だったので両親に遊んでもらうか一人で遊ぶかのどちらかであった。私の家にはテレビゲームは無かった。エホバの証人の家庭によってものみの塔協会の教義に対する厳格さや忠誠度が異なるのでテレビゲームが許されているエホバの証人2世の子供もいた。私にとってそれは羨ましい限りだった。

私の家にはテレビすら置かれない時期もあった。両親はテレビから流れる情報は全て悪魔サタンが流している有害な情報だと信じていたからだ。それほどに両親は深い洗脳状態にある熱心なエホバの証人だった。とはいえテレビが置いてあった時期もあった。

しかし1日に見ることの出来る時間は30分とか1時間とガチガチに決められてはいた。しかもNHKだけしか映らないように設定されていることもあった。また見たい番組は事前に両親の承認を得なければならなかった。許しが出た番組でも一緒に見ていて途中でエホバの証人にとってふさわしくない”シーンがあるとテレビを消されるのだった。

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エホバの証人の悲しい父親

エホバの証人の野球盤

私は幼い頃からエホバの証人2世として育てられた。子供の頃に好きだった野球選手は清原和博で、小学生のときに初めて買ったCDは槇原敬之の『冬がはじまるよ』だった。中学生の頃に好きだった歌手がチャゲ&飛鳥の飛鳥涼だった。後年彼らが覚醒剤絡みで問題になったことと私のエホバの証人2世としての経歴が関係しているのかどうかは解らない。個人的に抱えている葛藤が共鳴したのかただの偶然なのか。

野球選手の清原和博に関する話はまだある。私は本当に清原が大好きで1987年の日本シリーズのことをよく覚えている。日本一まであとアウト1つという所で1塁の守備についていた清原が早まって男泣きをしたシーンが忘れられない。入団を希望していた巨人が対戦相手だったことも関係していたのだろう。思いのこもった涙だった。

当時流行っていたボードゲームの野球盤が我が家にもあった。エホバの証人の家庭聖書研究の後でちょっとだけ父親が野球盤で遊んでくれるのである。無論私は当時清原が所属していた西武ライオンズ側で父親と対戦する。

野球盤の球はピッチャーの投げる球の速度が調整出来た。スピードを全開にすると普通の人の動体視力では到底打ち返すことが出来ない。凄まじい投手戦になりほとんど全く点数が入らない。そこで我が家の野球盤は投手側のバネをひく部分に丸めたティッシュか何かを詰め込んでスピードが限界まで出ないように改造されていた。

ゲーム中に何回か決めた回数迄はそのスピード制御装置を外すことが出来ることになっていた。勝負所で高速球を放ることが出来るのだ。そんなこんなである程度のゲーム性まで高められた野球盤で父親と小学生の私は遊んでいた。

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エホバの証人の親の限界

エホバの証2世の夢

私は物心ついた頃には既にエホバの証人2世として育てられていた。14歳のときにサッカーをしたいという自分の気持ちを神エホバや両親の願いより優先してエホバの証人をやめた。しかしそのサッカー熱も数年で冷めてしまった。

サッカーをしなくなった私はエホバの証人が禁止されているものに手を出し始める。エホバの証人にとって許されないジャンルのテレビドラマや映画、小説なども一通り目を通した。テレビゲームもロールプレイングから格闘ゲームまで一通りやることになった。このゲームにはだいぶ貴重な時間を取られてしまった。

10代後半の私が将来の目標として描いていたのがテレビドラマや映画などの製作に関わる仕事である。ストーリーに直接関わるような脚本家になりたいと思っていた。心を揺さぶる感動を同時に多人数の人に電波やスクリーンを通して発信することが出来る。その感動には自分の主張を込めることが出来るのだ。

そんな私の夢の話を父親にしたことがある。父親は

「そんな者になりたい人間はごまんといる(から無理だ)」と否定してきた。

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排斥を怖れるエホバの証人の親の逆効果

親子の絆を断ち切るものみの塔協会の排斥処分

私は生まれながらにしてエホバの証人として育てられた。14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめてその後はやりたい放題の人生を歩んできた。ものみの塔協会によって禁止されているようなことをあえて選んでやっている節があった。反エホバ否ものみの塔という立場を積極的に取っていた。

20歳で家を出るまでは未だエホバの証人だった両親と同居していた。”この世”の法律でも禁止されているような未成年の喫煙や飲酒などにも私は手を出していた。ものみの塔協会的には当然それらは禁止されていることである。

両親はこの頃になって私に対して急に甘くなった。幼い頃にものみの塔協会の戒律を厳重に押し付けてしまったことへの贖罪のつもりだったのだろう。未成年の子供がタバコを吸っているなんてエホバの証人の親としては発狂するような状況である。

大人のエホバの証人信者でも喫煙しているのが見つかると排斥処分になる。現役エホバの証人の父親にしてみると一人息子が喫煙を理由に排斥されてしまることは避けたかったのである。それは親子の絆が断ち切られるも同然だからである。

排斥処分となると親子関係でもものみの塔協会は不必要な接触を避けるよう強制するのである。私のようにものみの塔協会に献身する前だと排斥にはならない。私がなかなかバプテスマという献身の儀式を受けろと両親に言われなかったのはこれを見越してのことだったのかも知れない。

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