カルトという完全悪

親族を巻き込むほど不幸になるエホバの証人

1990年、私の両親は小学生だった私を連れて田舎に引っ込んだ。親族をエホバの証人の組織に引き込むためである。しかし幸いなことに私の親族は誰も両親の声に耳を傾けなかった。これで親族一同がエホバの証人になっていたら、これは最大の不幸だった。今となってはエホバの証人をやめた私の両親だが、親族までカルトに引き込んで不和の原因を作っていたらと考えるとその罪悪感たるや計り知れないものがある。

親族の中では一番クレバーそうな私の父親がどっぷりとエホバの証人の組織に落ち込んでしまったのは不思議なものがある。それほどカルトの罠というのは人の心のわずかな隙を突いて、周到に被害者の心をがんじがらめにしていくものなのだ。

エホバという偽神、ものみの塔という偶像

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田舎へ引っ込む理由はものみの塔という偶像のせい

田舎暮らしのエホバの証人

小学校4年生になるときに私の一家は北陸の田舎へ引っ越すことになった。両親双方が北陸出身だったので、両親それぞれの実家の間に引っ越すことになったのである。両親は私が多感な少年期を迎えて都会にいるとこの世”の誘惑に晒されるという思いもあって田舎に引っ越すことを選んだようだった。

これが良かったのか、悪かったのか、私は10代半ばになると見渡す限り田んぼしかないこの田舎町が大嫌いになった。こんな所を離れたいという思いも相まって、エホバの証人を絶対に止めて親元を離れるのだという強い決意の元となった。小学校4年生の時の引越しが、私が14歳になるかならないかの時にエホバの証人を止めることが出来た原因の一つでもあった。

確かに元住んでいたわりと都会と言える地域のエホバの証人の子供たちはもうちょっと大きくなってからエホバの証人を”やめた”、組織から”離れて”いたというイメージがあった。

幼児に性的虐待を行っているエホバの証人

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苦痛に満ちた少年時代

エホバの証人2世が初めて気付く違和感

私は小学校に入る1986年に1度目の引越しをすることになる。エホバの証人の会衆は変わらず小学校が隣の校区へ変わるだけだった。エホバの証人2世の子供は幼稚園や保育園といった幼児教育を受けないので仲の良い友達との別れというようなものは無かった。

そもそもエホバの証人2世の幼児にとってはエホバの証人の世界がほぼ全てである。引越しした先で小学校に入学した私は初めてエホバの証人以外の社会に触れることになった

引っ越す前に同じアパートに住んでいた男の子が地元のお祭りに行こうと”はっぴ”を来て誘いに来てくれたことがあった。お祭りは突き詰めると八百万の神々に対する感謝の行事なので異教のものとしてエホバの証人にとっては禁止事項である。私は母親に遮られてお祭りに行くことは出来なかった。

この時に感じた違和感を小学校生活では常に味わうことになる。この違和感に気付いたときはすでに遅すぎた。両親は後戻り出来るような健全な脳の状態をしていない。完全なものみの塔協会のマインドコントロール下に置かれていた。子供の私が何を言っても始まらない。待っているのはこらしめと呼ばれる体罰である。

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エホバの証人という架空の癒し

エホバの証人の現実逃避

私が最近自分の息子と接していて感じたことなのだが、人生においてこの瞬間が一期一会なのである。息子がようやく話せるようになりつつある今日は二度と来ない。熱心なエホバの証人だった私の両親には今この瞬間を貴重だと思う感覚が無かった。私が高熱を出しても腕を骨折してもどこか現実味が無かったのである。無論心の底からいたわり心配はしてくれていたのだが、どこかよそ事感があった。

エホバの証人だった私の両親が何事においても臨場感が無かった理由は、ハルマゲドン後の楽園で我々は完全な人間に生まれ変わるという幻想を深く信じていたからである。エホバの証人信者たちが深く洗脳されていくのは不甲斐ない現実と不完全で辛い現在からの逃避を目的としている

今日1日をダラダラと過ごしてしまったのも自分が不完全なせい、楽園で完全な人間に生まれ変わればこんなことがなくなる、大怪我をして体や顔に傷が残っても問題ない、楽園では完全な体に変貌するのでいつかは消える傷である、人間関係に大きな問題が生じかけているけど、相手はこの世の人でハルマゲドンの通過は望めないから問題ない、エホバの証人の会衆内の人間関係にも齟齬が生じているがこれも今積極的に解決せずとも楽園で完全な人間になればいずれ回復するだろう。エホバの証人は目前の問題から逃げてさらなるマインドコントロール状態に陥っていくのである。

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1995年のものみの塔協会を知らないエホバの証人2世

ハルマゲドンへのカウントダウンが延長された1995

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。そして14歳になる年にエホバの証人をやめると決断することになる。このエホバの証人をやめた年が1994年で翌1995年にものみの塔協会は自身の教義を大きく変更した。簡単に言うとハルマゲドンまでのカウントダウンが延長されたのである。

神エホバに心から献身し感謝し畏敬の念を抱き全てを無償で捧げているというような純粋なクリスチャンはエホバの証人の中に多くはいない。単純にハルマゲドンへの恐怖とその後の楽園での永遠の命という人参をぶら下げられてあの不毛な勧誘活動に打ち込んでいるのである。

その人参が与えられるのはもうあと何年かのうちだとされてきた。明日にでもその最終戦争が勃発するとエホバの証人信者たちはものみの塔協会によって教えられてきたのである。しかしものみの塔協会が定めた終末の刻限が来てしまいそうになったのが1995年だった。

さすがに終わりの日の教義の信憑性を保つ限界が来たとものみの塔協会のトップである統治体がメンバーの合意の上で決めたのである。そしてハルマゲドンの起こる期限が緩やかに延長された。それでも終わりは近くもうまもなくということにはなっている。

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不完全な真理は真理ではない

楽園には入りたくないエホバの証人2

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。14歳で自分の意志でエホバの証人をやめる。苦心の末やっとエホバの証人をやめるという決意を両親に告げた。しかし集会のために王国会館へ行く時間になったとき両親に対して

「もう集会に行かない」と言うのがやっとだった。

その日の集会から帰ってきた両親によって私の事情聴取が始まった。いったいどういうつもりでもう集会に行かないというのか?ということである。両親はこれ以前からの私の集会や伝道活動への身の入らなさからある程度はこういった事態を想定していたはずである。

この頃の私は常にエホバの証人をやめるということを考えていて理論武装を固めていた。私の人生の意味はエホバの証人が求めるものとは違う。ハルマゲドンまでの限られた命で構わないから二度と繰り返されることのない現在、今を思い通りに生きたいということを両親に話した。両親と一緒に楽園で永遠の命を享受したいとは思わないとはっきり告げた。

さらにこの頃にはものみの塔協会の教義の矛盾にも私は気付いていた。この晩の事情聴取で背教じみたことも両親に対して口にしていた。批判的に公開講演を聞いたりものみの塔協会の出版物を読んだりすると突っ込み所はどれだけでも出てくる。まさしく完全、完璧な真理では無いということが見えてくる。

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エホバの証人2世の晴れやかな夜

集会に行かないと告げた夜

私はほぼ生まれたときからエホバの証人2世として育てられた。14歳で自分の意志でエホバの証人をやめた。エホバの証人をやめるという決意は出来ていたのだがなかなか両親には言い出せなかった。

父親は会衆の長老で母親は正規開拓者で両親ともに熱心なエホバの証人だった。私はエホバの証人をやめるということは両親の愛情を裏切ることであるような気がしてならなかったのである。長い間、悶々としてようやく両親に切り出すことが出来た。

夜の集会に行く時間になり両親から集会に行くよと言われたときに

「集会にはもう行かない」と告げたのである。エホバの証人をやめるとははっきりと言えなかった。集会に行かないと言った時も自分の部屋から出ずにベッドに寝て顔を伏せたままというレベルである。この行為は両親に対しての酷い裏切りであるという意識がこの頃の私にとって強かった。

しかしこの晩の両親が集会に行っている間の気分のなんと晴れやかだったことか。これからは自分の時間を自分の思うように使うことが出来る。禁止されている学校の行事に参加出来ず恥ずかしい思いや嫌な思いをすることもない。女の子と付き合ったり友達の家のクリスマスパーティーに参加したりすることも出来る。

やっと両親にエホバの証人をやめるという話を切り出すことが出来た。これを言い出せずに長い間悩んでいたのでほっとした思いもあった。この後は頑としてエホバの証人としての活動を拒むだけである。

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エホバの証人2世が繋ぎ止める家族の絆

簡単には解けないものみの塔協会の洗脳

私は物心ついた頃からエホバの証人2世として育てられた。14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。そして20歳で就職し家を出て独立した。この頃の私は自分の我が世の春を謳歌するのに必死だった。幼い頃からものみの塔協会の堅苦しい教義によって多くのことを禁止され自由を制限されてきたことへ反動である。

いかにエホバらしくないか、いかに反ものみの塔的であるか、そういう生き方、行動、選択をしなければならないという強迫観念に縛られていた。それでもこの時期の私は来たるハルマゲドンに怯えていた。急場には思わずエホバに祈ってしまうという洗脳状態にあった。交通事故で死にかけたときなど命の危険が迫ると思わず心中でエホバに祈ってしまうのである。

それでも絶対に私はエホバの証人組織に戻るつもりは無かった。実際あの組織はダサいし関わっても今この瞬間に良いことは1つもない。これが理由だった。地味で真面目なだけが取り柄のエホバの証人だらけの楽園で永遠に生きるなど拷問のようにも思えた。

それでもいずれ訪れる終末の日に対する恐怖は拭い切れなかった。天から降る裁きの火で不条理にこの身を焼き尽くされる夢を何度もみた。雷で撃たれて死ぬという恐怖のイメージもあった。近いうちに私は神により滅ぼされるのだ。ならばハルマゲドンまでの残りわずかな人生を好き放題に生きるしかないと思っていた。

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父親に褒められたいというエホバの証人2世の叶わない願い

人生の意味とは

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。幼稚園や保育園で幼少教育を受けることなく母親にものみの塔協会の伝道活動に連れ回される日々を過ごした。小さな頃に体を動かしたり歌ったりという機会が少なかったために私は運動が全く出来ず音楽的な才能も皆無だった。

音痴でスポーツが全く出来ないということが私は嫌で仕方がなかった。思春期になればなおさらである。自分がエホバの証人2世であるということと同じくらい体育や音楽が出来ないこと、絵が尋常でなく下手なことが嫌だった

しかし熱心なエホバの証人だった両親はそんな私の悩みなど気にも留めなかった。スポーツがダメでリズム感が皆無でも良い、ものみの塔協会の活動さえしっかり行っていればハルマゲドンを通過し楽園で永遠の命を得ることが出来ると信じていたのである。心の底からただの一つも疑うことなくである。これが危険なカルト教団による洗脳の結果である。

この世の終末が近いのなら成さねばならないことはものみの塔協会の活動などではない。自分の心に沿って本当にやりたいことを行わなければならない。それが限りある命に意味を持たせる方法である。エホバの証人だらけの世界でだらだらと生き続けることに価値など全くないのである。私は14歳のときにこの考えに至りエホバの証人をやめた。

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音痴なエホバの証人2世

運動音痴なエホバの証人2

私はエホバの証人2世として物心ついた頃から育てられた。毎日のように母親に連れられてものみの塔協会の伝道奉仕活動に出かけていた。そのため幼稚園や保育園といった幼児教育を受けていない。ものみの塔協会的にはそんなものは必要がないというスタンスである。王国会館に連れて行くことや家庭での聖書研究が何よりの情操教育になるのだというのがエホバの証人の親たちの言い分である。

私は運動が苦手でリズム感が無く絵も下手だった。両親いわく幼稚園だか保育園で幼い頃にそういった練習をしていないからだろうということだった。その代わりに本を読むことや文章を書いたりするのは得意で、小学校でも体育や音楽、図工以外の成績は優秀だった。

小学校の主要科目での私の成績が良いのは子供の頃からものみの塔協会の出版物に慣れ親しんでいるせいだと両親は常々自慢していた。運動が出来なくて音痴でも構わない。そんなものはエホバの証人として楽園に入るのに必要が無いというのが両親の意見だった。

父親は高校時代にインターハイに出るほど運動神経が良かったのに私にはその血は受け継がれていなかったようである。また全く運動やお遊戯をしなかった幼児期の影響も大きい。好きこそ物の上手なれと言うが出来ないものを好きになるのはとても難しい。プールの水泳で50mのノルマの距離を泳げるようになったのもクラスで最も遅い部類だった。

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