残る者と去る者

残る者と去る者の確執

遂に初めてコメントを頂きました。ありがとうございます。コメントを確認している過程で気付いたのですがメールアドレスを登録しないとコメントできない設定になっていました。煩わしそうですのでこの制限をはずしました。コメントやお問い合わせは批判や中傷でも大歓迎です。

今回コメントを頂いた方はエホバの証人2世として10代までを過ごされたそうです。妹さんがいらっしゃって兄妹でエホバの証人2世としての活動を強制されたとのことです。私は一人っ子だったので兄弟揃ってエホバの証人2世として育てられるという経験はありません。

同時にエホバの証人をやめることが出来れば良いのでしょうがやめるタイミングにずれがあると決定的な兄弟関係の損失につながってしまうのではないかと思います。これは兄弟だけでなく夫婦や親子、友人関係にも当てはまることです。この方はエホバの証人としての活動をやめてからが本当の地獄だったとおっしゃっていました。エホバの証人組織に残る者と去る者の確執のことなのでしょうか。

エホバの証人組織に残る者はものみの塔協会の語ることが真理でそれ以外に救いはないと完全に信じ切っています。肉親がそこを去るということを何としても押し留めたいと思うのは当然のことです。さらには肉親が反対者となれば愛情が憎しみに似た感情に昇華します。

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エホバの証人の悲しい父親

エホバの証人の野球盤

私は幼い頃からエホバの証人2世として育てられた。子供の頃に好きだった野球選手は清原和博で、小学生のときに初めて買ったCDは槇原敬之の『冬がはじまるよ』だった。中学生の頃に好きだった歌手がチャゲ&飛鳥の飛鳥涼だった。後年彼らが覚醒剤絡みで問題になったことと私のエホバの証人2世としての経歴が関係しているのかどうかは解らない。個人的に抱えている葛藤が共鳴したのかただの偶然なのか。

野球選手の清原和博に関する話はまだある。私は本当に清原が大好きで1987年の日本シリーズのことをよく覚えている。日本一まであとアウト1つという所で1塁の守備についていた清原が早まって男泣きをしたシーンが忘れられない。入団を希望していた巨人が対戦相手だったことも関係していたのだろう。思いのこもった涙だった。

当時流行っていたボードゲームの野球盤が我が家にもあった。エホバの証人の家庭聖書研究の後でちょっとだけ父親が野球盤で遊んでくれるのである。無論私は当時清原が所属していた西武ライオンズ側で父親と対戦する。

野球盤の球はピッチャーの投げる球の速度が調整出来た。スピードを全開にすると普通の人の動体視力では到底打ち返すことが出来ない。凄まじい投手戦になりほとんど全く点数が入らない。そこで我が家の野球盤は投手側のバネをひく部分に丸めたティッシュか何かを詰め込んでスピードが限界まで出ないように改造されていた。

ゲーム中に何回か決めた回数迄はそのスピード制御装置を外すことが出来ることになっていた。勝負所で高速球を放ることが出来るのだ。そんなこんなである程度のゲーム性まで高められた野球盤で父親と小学生の私は遊んでいた。

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エホバの証人とドラッグ

エホバの証人の話のすり替え

私が子供の頃に好きだったプロ野球選手が清原和博だった。これは1980年代のことである。ちなみに中学生の頃はチャゲ&飛鳥が好きだった。これが1990年代になる。初めて買ったCDは槇原敬之の『冬が始まるよ』だった。このシングルCDをヘビーローテーションで聴いていた結果、エホバの証人の長老だった父親にCDケースごとへし折られてしまった。

エホバの証人にとって”ふさわしくない”音源を繰り返し何度も聴くことは許さないということだ。父親にしてみればエホバの証人の活動をおろそかにする原因となるものを取り除いたつもりだったのだろう。不条理極まりない出来事だった。おこずかいをきっちり貯めて始めて購入したCDがたった数日で割られ捨てられたのである。

怒りに任せて子供が現状では一番大切にしているものを力任せにへし折ってゴミ箱に捨てる、これがクリスチャンの長老の行いと言えるだろうか。こう言うとエホバの証人はキリストも神殿で商いをしていた者に対して激昂したことがあったという話を持ち出す。

自分の子供に対する接し方についての話なのに、神を敬う行為のためならば怒りを前面に出すことも問題ないという話にすり替えられてしまうのである。これはエホバの証人特有の論理である。何でも自分たちに都合の良いように話を解釈するのだ。ものみの塔協会のトップである統治体は話のすり替えや意図的な局部的引用を繰り返し行う欺瞞的体質を持っている。この確信犯の悪癖がエホバの証人の末端信者にまで影響している。

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エホバの証人の嘘

エホバの証人をやめたいという願いと恐怖

私は物心がついた頃には既にエホバの証人2世として育てられていた。いつかエホバの証人をやめたいと漠然と考え始めたのは10歳を過ぎた頃である。ものみの塔協会の厳格な教義のせいでやりたいことが何も出来ない幼年期から少年期を過ごした。集会や伝道奉仕活動による時間制限のせいで常に自分の意思や願いを果たせなかった。

これはいつかエホバの証人をやめて自由になるしかないと私は思っていた。そう思いつつもやはり正規のエホバの証人となってハルマゲドンを生き残る方が賢い選択なのだろうかとも迷っていたのもこの10歳の頃である。

ハルマゲドンを通過すれば楽園で永遠の命を享受することが出来る。これはものみの塔協会がついている大きな嘘のうちの1つである。冗談のような話だがエホバの証人たちはこれを真剣に信じている。これがマインドコントロールということだ。

エホバの証人2世に至っては子供の頃から両親やエホバの証人信者たちに酷く脅されているのでハルマゲドンや神エホバ、キリスト、悪魔サタンやその他の悪霊に至るまで恐怖心を抱いている。エホバの証人2世の子供のほとんどは強烈な洗脳下にあるのである。

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未来の自分へのプレゼント

自分で決めろ

今日12月24日は日本中が浮かれるクリスマスである。しかも日曜日で家族や恋人と楽しく過ごそうとしている人たちがたくさんいる。しかしそうでもない人々もいる。エホバの証人の家族は相も変わらず日曜日の朝の集会に出かけている。そもそもものみの塔協会がクリスマスを祝うことを禁止している。クリスマスもサンタクロースも恋人との夜も何の関係もなくいつも通りに日曜日の朝の集会、午後からは伝道活動に出るのである。

果たしてそれで本当に良いのだろうか?自分で考えて決めていることだからそれで良いとエホバの証人たちは答える。クリスマスは企業の経済戦略でそれに乗っかるだけ無駄なことだと言う。しかしそれは本当に自分で考えたことなのか?単純にものみの塔協会の言いなりになっているだけなのではないか?経済戦略に乗っかってちょっとだけ浪費することの何が悪いのか?ちょっとした浪費が永遠の記憶として身近な人との間に残るかも知れないのである。安いものである。

エホバの証人2世の子供に至ってはさらにむごい。クリスマス会に行きたくて仕方がないだろうし明日の朝はクリスマスプレゼントが欲しいのだ。これは間違いない。楽しいことが嫌いな子供などいるはずがない。ものみの塔協会や親の言いなりになってクリスマスを避けているだけなのだ。自分で選択して決定したことではないのである。

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外した場合の保険付きの預言

怪しげな真理

私はエホバの証人をやめる頃にはものみの塔協会の言っていることの1から10まで全てが正しい訳ではないと思い始めていた。私が14歳のときで1990年代の中頃のことである。王国会館は明らかに不完全で欠陥のある人間の集まりだったし、そこで一言一句に不備の無い真理が伝えられるとはどうも思えなかったのである。

このような不完全な集団がハルマゲドンを通過し完全な人間に生まれ変わるというのがものみの塔協会の教義である。にしても不完全過ぎないかというのが私の印象だった。四肢に障害があったりとんでもない肥満だったり子供にしてもアトピーのような病気がちだったり極端に学校の成績が低かったりという集団なのである。単純に魅力的でない恵まれない人々が集まって傷を舐め合っているだけなのだ。しかしそういった人々を救うというのがキリストなのである。

それでも王国会館で伝えられることの全てが真実という訳でない気がしていた。出来損ないの講演者によって伝わり方が変化したり思い込みの注解がされたりすることで真理が捻じ曲げられていると感じることがあったからである。またものみの塔協会そのものが間違ったメッセージを発信していると感じることがあった。出版物にあからさまに矛盾があったり、突っ込み所があったりするのである。

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ハルマゲドンと永遠の命という悪い冗談

ものみの塔協会の情報統制

エホバの証人は喫煙や過度の飲酒も禁じられている。しかし、この宗教の創始者である初代会長のラッセルはアルコール依存だったという話もある。こういった話はいくらでも出てくる。ラッセルの墓が存在しピラミッド型のモニュメントになっているという話もある。初代会長ラッセルと2代目の会長はそれぞれ離婚し夫婦生活に破綻をきたしている。

こういった情報はゴシップ的なもので全てを本当だと決めてかかれないのだが、これらは全てが真実である。何故ならものみの塔協会はこういった都合の悪い事案をひた隠しにしているからである。信者のエホバの証人が一切こういった情報に触れないように情報統制を敷いているからだ。隠すのは真実だから偽りならば堂々と反論すれば良い。論争はものみの塔協会の得意とするところなのだ。

 

ものみの塔協会のマインドコントロールの手法

私はほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育ち、子供の頃からのこの情報統制下にあった。天に神エホバは存在しキリストの統治が間も無く始まる。そのときのこの世を浄化するハルマゲドンが勃発する。その裁きの日に滅ぼされることがないように両親やものみの塔協会の言うことをしっかりと聞いて、熱心に伝道奉仕活動を行わなければならない。ハルマゲドンを生き延びれば地上の楽園で永遠の命を得られるのである。

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暴力的な神エホバ

お化けのQ太郎の視聴が禁止される理由

エホバの証人2世はちょっとでもお化けや幽霊が出てくるようなテレビ番組を見ることは禁止されている。極端に悪霊的で邪悪なものはあまりにも小さい子供や精神薄弱な人には悪影響を与えることがある。R指定がされているような映画である。しかしコミカルなお化けが出てくるような映画に関しては問題ないだろう。それが即座に少年犯罪につながることはない。ただそんな些細な所から発展して邪悪な道に染まっていくのだというのがものみの塔協会の教義である。そこまでして子供を縛り付けるということの悪影響にエホバの証人の親は気付くことはない。これが深いマインドコントロールの成果なのである。

ものみの塔協会の教義では寸分違わずサタンに騙されてはいけない、欺かれてはいけないということになっている。そのために些細なことでもエホバの証人の教義を厳守しなければならなくなっている。エホバの証人の教義の細かさと厳格さはものみの塔協会自らの教義で信者を欺き騙しているということの結果である。

信者が自由に振る舞い”この世”の情報に触れることで簡単にものみの塔協会の教義の矛盾に気付くようになる。ものみの塔協会は何から何までを固く縛り付け厳しい情報統制を敷くことで信者の知識や思考力を制限している。厳格な教義はものみの塔協会の不義の裏返しという皮肉である。

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親として”ふさわしくない”エホバの証人

サタン一派の地道な奉仕活動

ものみの塔協会の教義では悪霊というものの存在について明確に示されている。悪霊”あくりょう”ではなく”あくれい”と読むのがものみの塔方式である。ものみの塔協会の教義ではサタンという悪霊の親玉を筆頭にして諸々の悪霊が地上を闊歩しているという設定になっている。

サタンは他の宗教だとルシファーなどと呼ばれることもある。最も優秀で美しい”み使い”(一般的には天使)だったのだが、その自らのレベルの高さゆえに神に反乱、地上に下って最初の人間であるアダムとエバ(イブと呼ばれることもあるがものみの塔協会ではエバに統一)を蛇に化けて騙した。この辺りはだいたいどの宗教でも同じである。

神によって採集を禁止されていた知恵の実を食べたためにアダムとエバは自分たちが全裸であることに気付き衣類をまとう。人類の創造主に対する最初の罪である。これは傲慢な創造主に対する知識欲と冒険心のある人類の抵抗だった。しかしそれ以来人間は寿命を区切られ労働と産みの苦しみをしこたま味わうことになったという神話である。

ものみの塔協会の教義ではこのアダムとエバの原罪以来、サタンは他のみ使いや歴代の聖人(ものみの塔協会は聖人とは呼ばなり)、預言者から一般人、キリスト本人に至るまで誘惑を試みていることになっている。その誘惑に負けた天使(み使い)が悪霊として地上にさまよっているとされている。そのサタン一派がものみの塔協会の教えに背くように人類を誘惑し騙すという活動を現在でも地道に続けているという設定になっている。

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こらしめが終わるとき

屈辱的なこらしめ

エホバの証人の親は子供に体罰による恐怖政治を敷いている。この体罰はこらしめと呼ばれ、いわゆる愛のムチということになっている。しかしこのこらしめはエホバの証人2世の人格形成に多大な悪影響を与えている。私も物心ついた頃からこのこらしめの支配下にあった。

私の家ではこらしめはお尻を叩かれるのがほとんどだった。パンツとズボンを脱いでお尻を丸出しにしなければならなかった。完全にパンツを下げるので股間側も丸出しになる。少年期にはこの恥辱にも耐えなければならなかった

いつ頃からこらしめが無くなったのかは覚えていないが中学生くらいになると既にお尻を叩かれてはいなかった気がする。おそらく局部に陰毛が生えてきた頃からこらしめが無くなったはずである。お尻を叩かれなくなった、両親の前でパンツを下ろさなくて良くなったというのは大きな喜びのはずなのだが詳しく覚えていないのである。こらしめが終わった時期やきっかけについて私は何も覚えていない

この頃の私はそれどころでは無かった。両親の愛情と自分の好きなように生きたいという思いの狭間で苦しむ毎日だった。そしてエホバの証人だと変人扱いで見られる周囲の視線が何よりも嫌だった。エホバの証人2世としての被害を受けないように日常を取り繕って生きるので精一杯だったのである。

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