2022年、本当の敵は誰?

20才にして、生き直し

私は生まれながらにエホバの証人というカルト宗教の二世信者だった。14才で自分の意思でカルトを脱会。20才を超えてものみの塔協会の洗脳が解けた。ここまでが前回、20年後の日曜日、洗脳からの覚醒

2002年のとある日曜日。「エホバの証人はものみの塔協会に騙されている。教理は全部ウソだ」とスカッと覚醒したのだが、スカッとしないのは気分の方。

14年間も騙されていたとなるとムカムカするし、おかげさまで両親は信条を違えた時期に離婚、家族もめでたく崩壊済。ウソで頑丈に塗り固められたものみの塔の前に、圧倒的な無力感だけが残る。

私は運よく14才で脱会、短大卒まで修了し、就職氷河期の最中に手堅い会社に就職していた。エホバの証人のことは何もかも忘れて、真っ当人として生きていけば良かったのだが・・・

14年間も信仰していた存在、20年間も存在を信じていたモノが、スカッと崩れ去ったため、私は自分の根幹となる「芯」のようなものを失った状態だった。それは、行動の指針であり、守るべきものであり、生きていく目的のようなもの。

私は20才を超えて、生まれたての状態に逆もどり。唯一の行動の方針は非エホバ的であるということ。

  • クジラ=喰う
  • 献血=する
  • タバコ=吸う
  • 酒=大量に飲む
  • 異性=不純に交際する
  • 暴力=OK
  • 法律=守らない
  • ギャンブル=する

エホバの証人の逆を行っていればそれでいいと考えていた。そもそも考えるということをせず、14才脱会後の反動でエホバの証人禁止事項に手をだした惰性のまま、エホバの証人全否定行動を続けていた。

2022年、本当の敵は・・・

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20年後の日曜日、洗脳からの覚醒

ハルマゲドン、まだですか?

西暦2002年、「ハルマゲドン遅くね?」の疑問を解消するために、私はインターネットで「エホバの証人 残りの者」と検索した。

ハルマゲドンとはこの世の終わりのこと。私がハルマゲドンの勃発を信じて疑わなかったのは、エホバの証人という宗教に洗脳されていたから。

エホバの証人とは通称JW、正式名称「ものみの塔聖書冊子協会」という米国由来のカルト宗教。信者はハルマゲドンという終末思想に洗脳され、人生そのものを搾取される。

エホバの証人は子どもをもれなくエホバの証人にする。私の両親は、熱心なエホバの証人だったので、私も二世信者として14年間を過ごした。私は14才で自分の意志で脱会したのだが、洗脳が解けた訳ではなかった。

来るハルマゲドンに備え、人生の最期の快楽にふけっていた西暦2002年。

「それにしてもハルマゲドンはまだかいな?」とインターネットでエホバの証人について調べた。

「エホバの証人 残りの者」と検索。エホバの証人の教義では、地上での生き「残りの者」という特別枠が全員死ぬと、瞬時にハルマゲドンが発生することになっている。

使徒とリリスが接触したらサードインパクトが起こるあの感じ(分からない人は気にしないで、たいした話じゃないので)。

「残りの者」には人数制限があり、老人ばかりなので、程なく死に絶えるはずだった。ところが、インターネットで「残りの者」の人数が増えていることを知る。

エホバの証人二世、洗脳からの覚醒の瞬間

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西暦2002年、終わりの日

死を覚悟してサッカーボールを蹴り続ける

西暦2002年、日韓合同開催のサッカーワールドカップ。私はこれを生きて見られるとは思ってもみなかった。

私は生まれながらのエホバの証人二世信者。エホバの証人とは米国由来の終末思想を持つ新興宗教。子供をもれなく信者にして自由を奪うため、間違いなくカルト宗教だと私は思っている。

1990年代後半、14才のときに、私は親と決別しエホバの証人をやめた。この頃の私はサッカーに熱中しており、四六時中ボールを蹴っていたいと考えたため。

エホバの証人はスポーツに打ち込むことは禁止。勉強に打ち込むことも、正社員として必死に働くことも推奨されない。エホバの証人は、エホバの証人の布教活動以外に熱意を注ぐことが認められない。

エホバの証人が熱心に布教活動をするのは、終わりの日「ハルマゲドン」が近いから。ハルマゲドンとは神の怒りの裁きのことで、堕落した人類が神によって滅ぼされる。この裁きを生きてくぐれるのがエホバの証人だけという設定。

14才の私は、成人するまで生きられるとは思ってもみなかった。ハルマゲドンが来れば、神に従わない私は、当然、神により滅ぼされると信じていた。ハルマゲドンでの憤死を覚悟の上、刹那サッカーボールを追いかけられれば、それで良かった。

恐怖、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らせ

ハルマゲドンに怯える元エホバの証人2世

死を覚悟して遊び尽くす

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エホバの証人に「信教の自由」はない

エホバの証人がカルト宗教である理由

私はほとんど生まれながらのエホバの証人二世だった。

エホバの証人とはものみの塔協会を運営主体とするキリスト教系の新興宗教。輸血や兵役を拒否する特殊信条や児童性虐待などが問題になっており、一部の国ではカルト指定されている。

二世とは二世信者のことで、親の一世信者にこのカルトを強制された子供のことを指す。前述の特殊信条以外にも、エホバの証人には制限が多く、他の宗教臭のする行事の類いは一切禁止。

これは子どもには辛い。クリスマスからお正月まで何もかも禁止。クラブ活動などの自由もないので、学校では浮きまくりの変人扱い。

また、近年では時代に流されて変わりつつあるのだが、私の子供の頃は、体罰で子どもに厳しい戒律を押し付ける教育方針がとられていた。大学などの高等教育もエホバの証人の子供には不要とされていた。

問題ありまくりのエホバの証人なのだが、私がこの宗教をカルトだと決めつけている理由は、

自由がないこと。エホバの証人の子供には自由がない。人権を侵害されている。エホバの証人の子供は、「自由に行動を選べない」から。

この行動には、「学校の行事に参加する」から、「教育を受ける、信仰を選ぶ」といった行動まで。

一世信者は、このカルトに自ら逃げ込んだのだが、二世信者の子供は圧倒的不運な星の下に生まれただけ。生まれや美醜、運も才能のうちだと言えば、それまでだが、この不運を挽回するべく、私はものみの塔というカルトと闘う決意をした。

一世信者も思考・情報をものみの塔協会に制限され、洗脳。ものみの塔体質に陥れられることで、自身の自由意志を失っている。マインドコントロールして行動を制限するという意味では一世信者もカルト被害者。

エホバの証人の本質に関する質問、カルトの定義とは

以上をまとめると、エホバの証人には自由がない。大人の信者はマインドコントロールにより自由意志を失い、子供は親の信者に自由を制限される。

ゆえに、エホバの証人はカルト。

カルトに信教の自由はあるのか?

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恐怖、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らせ

エホバの証人(JW)の布教活動とは

私はほぼ生まれながらのエホバの証人の二世信者だった。エホバの証人とは通称JWというキリスト教系の新興宗教。直球で要約すると、輸血拒否で信者が亡くなったり、教団内での児童性虐待が問題になるカルト。

二世信者とは親の宗教を無理やりに踏襲させられる子供のこと。エホバの証人の場合は子供に幼児教育や大学教育を受けさせない場合が多く、私も小学校に入る前に幼稚園や保育園には行っていない。

幼児教育を受けなかった代わりに、両親によってエホバの証人の布教活動に連れ回されていた。同年代の子供のように遊ぶことも出来ないし、夏でも冬でも関係なく、ひたすら家から家へ回る。私はこれが嫌で嫌で仕方が無かった。

エホバの証人の布教活動は、信者たちからは「伝道活動」「奉仕活動」「ボランティア」など呼ばれている。基本的には住宅街をしらみつぶしに一軒ずつ訪ねて回る昔ながらのセールス方式。

最近では、駅前などで立て看板と一緒に立つ街宣方式もよく見かけた。この街宣方式も相当にヤバい。私の住んでいたような田舎で、この街宣方式をやると学校の同級生などに漏れなく目撃される。尋常でない屈辱感。何の罰ゲームかと。

2022年現在、家から家へのセールス方式も街宣方式も恐らくコロナ禍で両方ともストップ。電子媒体での勧誘に移行しつつある様子。電子手段にせよ人間方式にせよ、わが家にはこの不幸の伝道者がここ5~6年は来ていないので、布教力は私が強制されていた頃に比べて低下しているのだろう。

まさに「不幸の伝道者」であるエホバの証人

エホバの証人の勧誘のための伝道奉仕活動

見知らぬ家の呼び鈴を鳴らす恐怖

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元JW2世、節分の屈辱の記憶

節分、屈辱の記憶

今日は節分で豆をまいて「鬼は外、福は内」とやるのが日本の習慣。私の小学校の頃はもれなくこの行事があった。かれこれ30年以上前。今でも息子の幼稚園で豆まきがあるので、まだ廃れずにこの伝統が継承されている。

とはいえ、私は小学校の頃、豆まきが出来なかった。理由はエホバの証人という宗教の二世信者だったから。エホバの証人とは通称JWというキリスト教系新興宗教。両親が信者だったので、私ももれなく当然のように二世信者とされた。

戒律が厳しい原理主義で、キリスト教以外の異教由来の行事の一切が禁止。大人から子供に至るまでもれなく。

節分、七夕、七五三、日本古来の行事は全てNG。クリスマス、イースター、バレンタイン、一見キリスト教っぽい行事も宗派が違うので禁止。

他には輸血拒否して死亡する信者がいたり、兵役拒否、武道の禁止、選挙、投票しない、国歌、国旗への不敬意、国家の法は厳守する立場を取りつつも教団の戒律を優先する。といった危険なカルト団体。

かつて子供に体罰を行い、時代の変化に合わせて体罰は隠蔽、教団内は児童性虐待の温床になっている。

つまり、教団内に多少の隣人愛があろうとも(これも今はないか)、エホバの証人は最低最悪な宗教団体。

しかし、二世信者の子供の日常で辛いのは、学校行事への不参加だったり、給食前に合掌せずにJWスタイルで祈らなければならないこと。要は、クラスメイトや教師からの「変り者」という視線が痛い。地味に傷つく。これが毎日なので傷は深く深く、痛みは蓄積されていく。

皆が楽しそうに豆をぶつけあっているのは、もちろん羨ましい。一緒にやりたい、という気持もあるのだが、それ以上に一人見学している恥ずかしさ。

「早くこの時間よ。過ぎ去ってくれ」私はいつもそう思っていた。これがエホバの証人二世の子供だった私の一番の辛かった記憶。屈辱。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

救いのない宗教、エホバの証人

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エホバの証人をやめると健康になれる話

人生を切り開く生き方とは

旅先で体調を崩した話の続き。体調を崩す直前にとある大きな寺院に参拝していた。参拝というか、私は古い建物を見るのが好きなので、ほぼ観光。

その後、ホテルで発熱して天井がグルグル回っているときに、ふと思う。

「この熱の原因は、最後の賽銭箱に100円入れるのケチったからか?バチが当たった?目の前にありがたそうな像がご鎮座していたしな・・・物珍し気に眺めて、帰ってきただけなのが不味かったか・・・」

体調が悪いと、血迷った発想をしがち。

「待てよ。待てよ。他の賽銭箱には大概100円ずつ入れたし、都度、ここに来られたことのお礼を述べてきた。充分だろ。待て待て、最初に拝観料800円払ってんじゃんかよ」

こいつは関係ないな。ご利益あれど神罰あってたまるもんかと。

翌日、医者に行くと、原因は数日前に食べた鳥刺しが濃厚と言われる。

やはり病気には宗教より医学。

人生においては、霊的なものより物質的な課題を考えるのが先。目の前の物質的な課題を淡々とこなした上で、神仏にすがるのが人間の筋。「困った時の神頼み」でなく「人事を尽くして天命を待つ」が人生を切り開く生き方。

エホバの証人をやめて健康になったと病人が言う

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神さまに祈るのは最後の最後の後回しに

架空の神エホバに祈るのは残念無念

数日前、体調不良で倒れる。遠方に出張中のため、ホテル滞在中のこと。発熱もあり、コロナの疑いもあったためホテルの部屋に軟禁。ひどい嘔吐と下痢で脱水症状気味になる。胸の動悸が激しく、息も十分に出来ず、このまま

「死ぬんじゃないか」と頭をよぎる。恐らく大げさなのだが、こんなものは体感で個人差があり、私は普段ほとんど病気をしないので、ちょっとしたことでも大げさに感じてしまう。

天井がグルグル回って見えるし、息も出来ているのか出来ていないのか、頭が異常に痛いし、意識も不鮮明に。過去の現象が織り交ざって幻のように目の前をよぎる。これが走馬燈か!?(軽く夢を見ていただけかと)

いよいよヤバいなと思ったときにやっちゃいそうになったのが、

祈り。

「いやいや、誰に祈るんだよ」と冷静になる。

エホバの証人をやめて30年弱、やめた当初の頃はものみの塔洗脳下にあったこともあり、うっかり

「天におられますエホバよ・・・助けて下さい」ってやっちゃったことあったけど。もう今は無いよね。あってはいけない。ありえない。こんだけ普段、批判ブログ書いておいて、死に際に祈るとかあり得ない。筋が通っていない。

うっかりエホバに祈っちゃうなんて残念無念、抜群に悔いが残るので

「死んでもエホバには祈らない。そもそも祈るくらいならエホバを呪って死んでやる。しかし、呪うと存在を認めたことになるので、正解は積極的姿勢で無視。エホバなんていう架空の存在とは全く関係のない所で死んでやる」

と苦しい体ながら、再決意。

エホバの証人の王国会館に病気の人が多い理由

エホバの証人の王国会館に流行る病

神様は最後の最後の後回し

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JW2世のクリスマスの辛い思い出

エホバの証人とクリスマス

明日がクリスマスなので、これから子供たちが寝静まったらプレゼントを枕元に置かないと。子供たちは靴下を吊り下げて寝たけれど、そんな小さな靴下じゃプレゼントは入らないな・・・うっかり寝てしまわないように気をつけよう。

息子は4歳で、まだサンタクロースがいると思っているのかいないのか。手紙で欲しいプレゼントと「ちゃんとお片付けします」と約束を書いていた。幼稚園にもサンタクロースが来たらしいので、まさかソリで空を飛んでくるとまでは思っていないのだろうが。

私の場合は、物心ついた瞬間からクリスマスはこの世の商業戦略だと親に教えられた。だからプレゼントを貰ったことも、クリスマスにケーキを食べたことも一度もない。理由は我が家がエホバの証人一家だったから。

子供の年に一度の楽しみなので、商業戦略だろうが何だろうが、ある程度乗っかってやれば良いのに。本当にエホバの証人はしょうもない細かい所にこだわる。クリスマスはキリストの誕生日ではないとか何とか。どうでも良いです。そんなこと。

クリスマスはプレゼントを交換してシャンパンを飲んだくれる日。それで良くないですか?

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人のクリスマスケーキ

エホバの証人二世にとって苦痛のクリスマス

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エホバの証人のどうでも良い教理、些細なことにこだわる理由は?

乾杯禁止のエホバの証人

下らない理由で創られた教理で死んでいくエホバの証人

真理真氏作成のJW解約資料を読んでいる。第4弾「神の経路と奴隷級」。ダウンロードはJW解約-エホバの証人の真理を検証する

『差別化のための教義』の項に以下のように書かれている。

カルト教団の特徴にならい、他の教会から差別化を図るために大して重要でない教義に重きが置かれて

いる。自身を差別化し、信者に特別感や優越感を持たせる。一般的な行動を避けさせることで、信者に一体感を抱かせ、それを信者間の兄弟愛と勘違いさせる。

このために、エホバの証人には瑣末な下らない教理が多数。この資料ではエホバの証人にの下らない禁止例として、「誕生日」「十字架」「乾杯」が挙げられている。

他にも「三位一体の否定」「輸血拒否」「クジラ肉の禁止」「天使長ミカエルとキリストの同一視」など、どうでも良いことにエホバの証人はこだわっている。

つまらない些細な教義へのこだわりなのだが、これを押し付けられる信者側はたまったもんじゃない。輸血拒否で亡くなった信者も存在する。まさに命がけ。根拠は聖書に「血を避けよ」と書いてあるから。

愛溢れるキリスト様だったら、死を賭してまで「血を避けよ」なんて言うはずがない。命を捨ててまで古い法を守れとは決して言わない。はずなのだがマインドコントロール下のエホバの証人にはこの理論が通じない。「協会の出版物にはー、長老がー、医療委員会がー」となる。

ものみの塔を唯一の真理の経路であると権威付けるために、下らない教理が作られた。そのうちの一つ「輸血拒否」で実際に信者が死んでいく。亡くなった信者・家族にとっては一大事なのだが、戒律が作られたのは本当に下らない理由「他の教会との差別化」のため。

理由は、エホバの証人が、命がけで輸血拒否するのは目立ちたいから

エホバの証人教義の多数の矛盾

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