エホバの証人と聖書の地球像、聖書を科学的に正確にしたい人たち

エホバの証人がどうしても正確にしたい聖書

聖書は科学的だと、思いたい人たち

聖書に地球が球だと書いてあるか否かという話の続き。夏休みの自由研究的な感じ。

エホバの証人的には、「聖書には地球が球だと書いてある。それは地球が平らだと考えられていた時代に書かれた記述であり、それが聖書の科学的正確性を示している」と、したいらしい。

これに関する、ものみの塔の宗教本の主張にツッコんでいこうという回の前編。

『目ざめよ!』 1981/12/22号。『科学の事柄に言及している場合,聖書は科学的に正確である』と、思いたい話。

この記事のタイトル『科学の事柄に言及している場合,聖書は科学的に正確である』がいただけない。

「科学のことを話しまーす」と、聖書内で前置きしているわけでもないだろうに。「ここは科学のことを書いているんだ」と、勝手に思って、勝手に「正確だ」としているにすぎない。

西暦前8世紀にイザヤは,エホバが『地の円の上に住んでおられる』と書きました。「円」と訳されているヘブライ語“フーグ”には,デービッドソンの「コンコーダンス」やウィルソンの「旧約聖書語彙研究」が示しているように,「球」という意味もあります。

「球」という意味もあるだけで、「球」だとイザヤ君が思っていたかどうかは、誰にも分らない。平らな円だと思っていたのかも知れない。

盲信させる気満々の『永遠に生きる』

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聖書の非科学的描写:レビ記のサイコな記述、鳥と獣の儀式

怪しげな宗教儀式

聖書の記述、鳥責めからの獣責め

聖書の非科学的さ。昨日までの一連の記事の続き。Twitterで有識者に教えてもらった聖句で、夏休みの聖書自由研究。

レビ記14章に恐るべき記述がある。病気が癒えた人を浄める方法として、下記。

  • 鳥を殺して、その鳥の血を7回、対象者にかける。

おいおい、そんなことやったら余計病気になるよ。あと、「血を食べてはいけない」とか「輸血しない」とか言っているのに、病気が癒えた人の皮膚にはかけちゃうんだね。傷口が完治してなかったら、鳥の血が体内に入っちゃうけどね。

この記述の、いったいどこが科学的なのか。

まだまだ続く。鳥責めを乗り越えたら、待っているのは獣責め。

鳥の血で病気にならずに8日間生き残ったら、羊3匹、上等の麦粉と油を献上する。

この頃から、搾取するシステムがキッチリ作られていたんだね。しかも、病人から。病気を治したいばかりに、こんなバカげたことに付き合っちゃう。現代のエホバの証人も似たようなものだが。

そして、動物責め。搾取された羊の血を体につけられる。

  • 耳たぶ、手足の親指に羊の血をつける

いやいや、またこれも病気になるって。汚いよ。羊の血。現代エホバの証人は、散々輸血拒否で血を避けているのに、当時の病み上がりの人は、動物の血を体につけられていた。これは余計に病気になるよ。

カビにも血で対抗、聖書の記述

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聖書の科学的記述における疑問:世界の範囲、せまっ!

美しい地球を見せずに・・・

聖書科学的派の工作

聖書がとくに科学的ではないという昨日からの話の続き。

聖書に、地球が「円」だとか「天蓋」だとか、書いてあるという話。

聖書科学的派は、それが「地球が丸い」とは考えられていない時代の記述なので、「聖書は科学的なんだー」と。

私としては、「円」だとか「天蓋」でなく、「球」なら「球」と書けばいいのに、そうは書いていない。なので、特にこの部分から、聖書が科学的とは言えないと書いた。

特に、エホバの証人仕様の新世界訳聖書、その日本語訳は、当初「円」だったのを「丸い」と記述し直している。さらに、その「丸い」に注釈をつけ、「または球体」とこじつける執心ぶり。

そこまでしないといけないのは、聖書筆者に地球が球体という認識は無かったのに、それをこじつけたいエホバの証人の思惑が透けて見えるぞと。聖書科学的派の工作活動。

聖書の中の地球が平らっぽい記述

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聖書の科学的正確性に対するエホバの証人の主張と疑問:地球は「丸や円」でなく「球」

聖書の記述、地球は丸い?

地球は昔から丸いと考えられていた

昨日の記事の続き。聖書がいかに科学的でないか書いている。

逆に、エホバの証人の主張は以下。

イザヤは、紀元前732年に「地球は丸い」(イザヤ40:22)、つまり球体だと書いた。当時の世界の常識とは違っており、聖書には、科学的に正しい事実が先駆けて書かれていた。

おいおい、そんなので騙せるのはエホバの証人だけだよ。

「丸い、つまり球体」って何だよ。

丸と球は違うぜ。丸いというのには、円や球、両方が含まれる。丸い=球とするのは、都合が良すぎる。

地球は平面の円だと考えられていた時期がある。それを指して、丸いと書いていても全く不思議ではない。もともと、地球は平面状に丸いと考えられていた。聖書もそれをそのまま踏襲したのかも知れない。

エホバの証人仕様聖書の、都合の良い書き換え

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地球は空間に浮いてない、エホバの証人と聖書の科学的解釈

地球は空間に浮いていない

聖書の一部が科学的に正しいからってどうなの?

聖書には「地球は永遠に存続する」(伝道1:4)とおバカなことが書いてある。現代科学では地球の寿命はあと50億年くらいと考えられており、これは、ある意味では永遠。50億年という途方もない年月は、聖書を書いた人類にしても、永遠。

しかし、エホバの証人の場合は別。エホバの証人は、聖書の言葉をそのまま現代に当てはめて、実生活に害をもたらしている。エホバの証人は、この「永遠」も文字通りの「永遠」と受け止めている。

さらにエホバの証人は、聖書は科学的な本だから間違いない。「永遠」は、本当に「永遠」なんだと言い張っちゃう。

人間が復活したり、神が天と地を作ったり、地球全体が水に沈んだり、さらにその大嵐を手作りの方舟で乗り切ったりという、荒唐無稽な空想文学のどこが科学的なのか?

ここで、エホバの証人が出してくるのが、聖書に書いてあることの一部が科学的に正しい箇所。

聖書のほんの一部が科学的に正しいからといって、全体が正しいなんてことはあり得ない。それがそもそも科学的な発想ではない。

「はじめに神は天と地を作った」っていう時点で、何言ってんだという話。子どもの工作じゃないんだから。

それに、その神はどこから来たんだよ?

出だしから非科学的。

素晴らしい非科学的空想小説「聖書」。結構なことで。

聖書の一部が、たとえ科学的に正しくても、他が正しいとは断定できない。

『燃やす用』の聖書~ものみの塔の存続が神の不在の証明

地球は空間に浮いていない

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『みんなの宗教2世問題』、宗教2世の肌感覚とは・・・

誰もがカルトに騙されない未来を

宗教2世の体験談

『みんなの宗教2世問題』、1章「当事者たちのさまざまな声」より。「被害者をもう出さないために反セクト法を」小川さゆりさんの証言より。統一教会問題。

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母はそれまで友だちがおらず、すごく孤独な人生を歩んでいたそうです。それが教会で初めてコミュニティーもできて、友だちもできて、統一教会に救われた

宗教は孤独を救わない。友だちもできない。それらは全部ニセモノ。宗教をやめれば、コミュニティーを追い出され、友人関係も消失。孤独は深まるばかり。

カルトコミュニティーから出て孤独になるのが嫌だから、よけいカルトに固執するようになる。これがカルトが信者の人生を収奪する仕組み。

『宗教2世』より:宗教と孤独、宗教とメディア報道

生まれながらに「神の子」ですって言われて生きてきました。ですが、親が統一教会に高額な献金をするので、家にはずっとお金がなくて、ほんとうに貧しくて。

「神の子」が、その神の教団のせいで貧しいわけがない。完全に騙されていた事例。

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『宗教2世』、作り話の宗教世界を脱出、リアルな世界へ

宗教2世、リアルな世界へ

狭い、作り話の世界からの脱出

『宗教2世』読了。なかなか読みごたえがあった。電子書籍で読んでいたので、本の厚さは分からないのだが、結構厚い本だったのではないだろうか。

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あとがきより。

世界は、どの「教え」よりも広い。
あなたは、「その場所」を離れてでも、幸福に生きていく権利がある。

「教え」というのは、この本で問題提起している宗教のこと。

宗教が世界を構成するのではない。世界のなかに、数多の宗教が含まれている。

宗教の世界しか知り得ず、作り話の宗教世界をホンモノの世界だと思い込まされているのが、新宗教の宗教2世。

その親も、作り話の宗教世界が世界のすべてだと思っている。保護者としては役不足で、とても子どもを保護できる状態にはない。

宗教の作り話の世界に生きている人々は、その架空の世界を離れない限り、幸福にはなれない。

なぜなら、作り話の世界で幸福になったとしても、それは幸福になったつもりに過ぎないから。作り話の世界の幸福は、作りモノの幸福でしかない。リアルな世界で幸福になったわけではない。

新宗教の世界は、教祖や教団上層部のエゴや自尊心、欲望を満たすために作られたモノ。そこには、ホンモノの幸福はない。

新宗教の宗教2世は宗教をやめるべき。自己中心的な他人の利益のために、自身のリアル世界での幸福を放棄すべきではない。狭い作り話の世界から飛び出そう。

『宗教2世』のデタラメな世界からの再出発、そして遠回り

作り話の世界を押し付けるな

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『宗教2世』より:宗教と孤独、宗教とメディア報道

宗教で孤独は埋まらない

宗教で孤独は癒えない

『宗教2世』、Session3-3『2世たちの、その後』より。脱会当時者の声。

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専業主婦だった母親も、信仰によって孤独から救われていた点があった。しかしながら、孤独になったときの救い手が宗教しかないという環境は、どうにかしないといけない

そもそも、宗教は孤独を救わない。宗教世界に浸ると自分を見つめることになるため、孤独を促進する向きの方が強いのではないだろうか。孤独を求め、孤独に打ち勝つモノ。

孤独を埋めたいのなら、趣味サークルにでも入れば良くて、宗教にそれを求めるから人生のバランスを崩す。

「私と神」の間に、仲間の信者とか、組織とかが入ってくる。集団になれば同調圧力が発生し、人間が付け加えた戒律も介在してくる。

そして、寄付金や時間のノルマ、集会などの儀式への参加の要求。宗教により、忙しくしているうちに、自分を見失う。

孤独は忘れ去られただけで、根本的な解決にはなっていない。

仲間の信者ができたところで、それは宗教つながりの仲間。宗教をやめたら決裂する関係が、本来の孤独を癒すことにはならない。

趣味サークルだったら、サークルをやめても気が合う友達となら、そのまま友人でいられる。宗教の場合は、どうしてもやめたら裏切り者という雰囲気が生じる。

宗教というのは、それくらい重いモノ。孤独を埋めるために安易に始めるモノではない。

神社の賽銭とエホバの証人の搾取が違う、3つの理由

宗教問題の報道

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エホバの証人の大会帰りに目撃、けなげな児童の姿に涙

エホバの証人の子ども、過酷な現実

エホバの証人の大会、児童相談所へ通告

エホバの証人の大会@幕張メッセへ。昨日の記事の続き。プログラムを聴き終え、ホールの外で、児童相談所へ電話で通告。

通告内容は以下。エホバの証人の大会会場で以下の事象を目撃したと。

  1. ホールロビーで号泣している乳幼児が4~5人いる。朝9時頃から開催しており、夕方なので飽きたり疲れたりしているのだろう。ひどい泣き声だったので違和感を覚えた
  2. 大会プログラム内で、「終わり」が来ると、話していた。その「終わり」を生き残るために宗教活動をしろと指導している。ちょうど、隣に中学生くらいの児童が座っており、そういう多感な時期に、終末論で脅し宗教活動をさせている

名前と連絡先をきかれたので答えたが、もちろん匿名でも通告は可能。児童相談所の返答は

「調査はするが、結果や内容はお伝えすることはできない」という、いつもの。

公共の場で、エホバの証人の大会バッチをつけさせるのは・・・

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エホバの証人の大会潜入記:過去と現在の葛藤、子どもたちの悲痛な叫び

時は流れるも、数多の悲劇が繰り返されている

エホバの証人の30年、何も変わっていない

エホバの証人の大会潜入中@幕張メッセ。昨日の記事の続き。小一時間ほど、座席でプログラムを聴く。

その際、隣に座っていた中学生だが、自分がエホバの証人をやめた頃を見ているようだった。聴きたくもない話を日がな一日聴かされる。時間を浪費している圧倒的自覚がある。

しかし、エホバの証人をやめることは、親を捨てるにも等しい気がして、脱会という行動にうつれない。

大会・集会でしょうもない話を聞くのは嫌だし、エホバの証人活動もダサいからやりたくない。しかし、ものみの塔にこってりマインドコントロールされている親が嫌いなわけでも、憎んでいるわけでもない。

そして、神エホバが存在すると、中学生くらいの私は信じ込んでいた。明日にでも世界の終わりがくると、信じて疑わなかった。

こんな悲惨な中学生が隣に座っていた。この構図、私が中学生だった頃から30年変わっていない。私は30年間、ほぼ沈黙していたので、私を含めて、この国の大人はいったい何をしてきたのか?かつて、

輸血拒否で死んだ少年がいて、人生を弄ばれた数多の少年少女がいた。その中には、そのままエホバの証人を続けて大人になり、悲劇から抜け出せていない人々がいる。間違った教理を、正しいと信じ込んでいる無数の人々がいる。

真横の、小さな身体にのしかかる悲劇を感じながら退席。

エホバの証人の教理が不正義で間違っているのは、言わずもがな。神がこの世の体制を終わらせようとしているのなら、それは間違い。神の暴挙を止めようとするのが、正しい態度。

というか、こんなつくり話を信じ込まされている少年少女が、現代日本にいるという驚き。

乳幼児の泣き叫ぶ声、エホバの証人の大会

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