エホバの証人、お前の「家族の明日を考えろ」まだ間に合う

エホバの証人の家族の明日を考える

週末や夕方の駅前、大きなボードの横にエホバの証人が立っている。ものみの塔』や『目ざめよ!』の宗教誌を持っているを見るとゾッとする。思わず恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。

過去の自分を見ているかのような気がするから。

彼らのように街頭に立ったり、家々の呼び鈴を不毛に押して歩いていたのがもう20年も前。しかし、いまだにこの傷は癒えない。

自分から街頭に立っているエホバの証人に話しかけて、「オレ背教者なんだけど、このブログちょっと見て下さい」とやれるくらい、私も図々しいと良いのだが。そうもいかない。

いまだにエホバの証人の子どもだった、という過去を清算しきれていない。自分の心の中で。

先日、駅前で見たのが『家族の明日を考える』というエホバの証人の立て看板。そして、その横に立っている年老いたエホバの証人たち。

「お前の家族の明日を考えろ」と言ってやりたいところだが、目を合わせないようにして立ち去る。息子娘たちはエホバの証人を止めて疎遠、絶縁状態になっているのだろう。孫の顔も見れない。

もしくは、嫌がる子ども夫婦のことなど考えもせず、孫に宗教本を見せたりという暴挙に及んでいるか。絶望的な空気の読めなさ。親族の良好関係を自ら致命的に損なう。

既に成人している子どもも、いまだにエホバの証人だったら?子どもたちとの関係も良好?いやいや、一族総出でカルトですか?害悪をばら撒き、社会に荒廃をもたらす最悪な一族。

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年老いたエホバの証人の家族

最近は、エホバの証人が家にやってくることが無くなって、駅前で見かけるばかり。信者全体が高齢化して、屋外を歩き回るのが辛くなったのだろうか。駅前に立って伝道しているのは、たいていは老人のエホバの証人ばかり。

若い人が混じって人生を浪費しているのを見ると、いたたまれない気持ちになる。可哀そうにと。哀れ。しかし、老人でも同じこと。残り僅かな人生の時間を大切にすべき。

年老いていても、人生の残りの時間は短くないのかも知れない。最近は長生きするリスクの方が高い。そして、ハルマゲドンは絶対に来ない。

早々にエホバの証人をやめて、家族親族関係の再構築を始めないと、暗い老後を送ることになる。人生はいつでもやり直せる。必要なのはエホバの証人をやめる勇気だけ。

自分の頭で考えて、本当に大事なのモノは何なのか、よく考えて欲しい。それは、自分の家族の明日ではないのか。家族をさしおいて、神の主権とかどうでも良い。

家族を見捨てたあげく、信者だけが救われるハルマゲドン。家族を見捨てて、仲間の信者だけが助かれば良いという、ねじ曲がった邪悪な思想。そもそも、それも起こり得ない妄想に過ぎないのだが。


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