楽しいことなど何ひとつ無いエホバの証人の人生

こらしめという愛情の押し売り

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親ともにものみの塔協会に完全に洗脳された熱心なエホバの証人だった。この両親の言うことを聞かないと私は幼児の頃からこらしめと言う体罰を与えられた。両親はこらしめのときは鬼のように一変した。両親にしても必死だったのである。愛する我が子が泣き叫んで許しを求めているのに規定回数までは叩かなければならないのである。まさに心を鬼にしてムチを振るっていたのである。

このこらしめが終わると両親は普段以上に優しくなった。これが子供の私を混乱させる。いったい本物の両親はどっちなのか?本物というかこらしめのときの両親がああなってしまうのは、結局は自分のせいなのだと思わざるを得なかった。エホバの証人2世の子供はこうして自分が悪いと思い込むようになる。精神衛生上いたってよくない傾向である。

両親にしても明らかに癇癪を起こして怒っていると思えるときがあった。それでもエホバの証人的に正当なこらしめをしている風に振る舞うのである。そんなときほどこらしめの後で怒っていない方の親が異常に優しくなるのである。結局、エホバの証人の子供はこらしめという暴力行為は恨みとして残るのだが、それでも優しい両親というイメージを抱かざるを得ない。両親に愛されたように自分も両親を愛さざるを得ない。ものみの塔協会が愛ゆえのこらしめなのだと執拗に強調するのもこのためである。





エホバの証人2世はこの両親への愛情が仇になってなかなかエホバの証人をやめることが出来ないのである。極端な言い方をするとエホバの証人の親としての愛情が際立って感じられるのはこらしめという暴力行為があるからである。こらしめが恐ろしければ恐ろしい程、その後で優しくなる親の愛情が目立って感じられるのである。

 

楽しいことなど何ひとつ無いエホバの証人の人生

エホバの証人2世の子供は心から楽しんで遊ぶことが出来ない。大はしゃぎすることが出来ないのだ。遊んだ後にはエホバの証人の集会や伝道奉仕活動が待っている。暗くなって疲れ果てるまでいついつまでも遊ぶことなど出来ないのだ。

恐ろしいことにこの傾向は今でも私の中に宿っている。もうすぐ40歳になろうとしているのに14歳でやめたエホバの証人2世の頃の記憶が無意識下に刻み込まれているのである。ハメを外して大宴会という雰囲気になると、何故か罪悪感を覚えるのである。

20代の頃でもそうだった。パチンコで有り得ない大当たりの連チャンが来て、自身の楽しさが最高潮に達すると何かいけないことをしている気がしてくるのだ。自分はこんなに楽しんではいけない、こんなに恵まれてはいけない、そんな気持ちになる。何故か?元エホバの証人2世だからである。

本当にエホバの証人ってろくなもんじゃないと思う。心から楽しむことは人生の醍醐味のひとつなのにそれが出来なくなってしまうのである。


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