『仁義なきキリスト教史』

キリストの一つの解釈

電子書籍版で読んだ一冊。

 

神ヤハウェからローマ・カトリックに至るまでのキリスト教史を任侠道に当てはめてなぞった本である。ユダヤ教からイエス・キリストを経てキリスト教が世界中に広がる歴史が描かれている。神ヤハウェは大親分、キリストも任侠の人として描かれているのでエホバの証人にとっては衝撃的な内容である。宗教は一つの道であり任侠道も同じく道であるが、劇薬、毒薬の類である。ショック療法として役に立つ

エホバの証人はキリストや神エホバを聖人君子扱いし過ぎている。キリストは世界の歴史に名を残し宗教史を変えた英雄であることは間違いないが、それだけの存在である。所詮はただの人、ナポレオンやアレクサンダーと同じかそれ以下だと思っていい。

イエスが自らをキリストと考えていたかどうかは、どの写本を重視するか、という問題にも繋がってくる

これは書中で繰り返し書かれていることだが、この本でのキリストの解釈の仕方は

あくまで数多ある解釈の一つに過ぎない

と作者自らが述べている。

愛の無いキリスト教と破壊神エホバ

キリスト教はエホバの証人が思っているように愛に満ちた宗教ではない。それは記録として聖書に残されているのである。

聖書からして旧約は排他的、暴力的な色合いが強く、新約は内輪揉めと罵倒に満ちている

それ以降の歴史を見ても、表面的に現れる事項は暴力や派閥抗争ばかり

実際の歴史にもキリスト教は人間の営みの醜さを残している。

誰もが知っているキリスト教の二大汚点と言えば、やはり魔女狩り(異端審問)と十字軍であろうか。人間の排他性、攻撃性、残虐性が明瞭に現れた残念なムーブメント

神は人類創造の直後から独善的に何度も人類に制裁を加えてきた。この癇癪持ちの神についてもこの本の中ではこう描かれている。

民衆の間にヤハウェ大親分に対する畏れが肥大化していた

自分たちの一挙手一投足が大親分の怒りに触れるのではないかと人々は戦々恐々としていた

神そのものがあり余る力の使いどころを知らぬために暴れすぎる理不尽さと幼稚さを持っている。そして執念深く執拗に人類につきまとう。

子分たちの裏切りに遭い続けてきたヤハウェは、どんどんと人間不信に陥っていき、様子がおかしくなっていった

恐るべきDV神であり、若者言葉で言うならばヤンデレの神

 

それぞれの解釈の自由

ものみの塔協会によって洗脳されたキリスト教理解を改めるきっかけとして欲しい。これも一つの考えであると認識すれば良い。何もかもを真実か偽りであると決めつけてはいけない。エホバの証人にはその傾向が異常に強いのである。ものみの塔協会の語ることだけが真理でそれ以外の全ては嘘偽りであると洗脳されているからである。

キリストの出現自体がもう2000年も前のことである。それぞれの論説の中に真実もあれば誤認もあるのである。それはもはや確証の取りようがないのである。この本のあとがきでもこれが解釈の一つであることが再び強調されている。

一般的な解釈でないことは、学問的不誠実さを意味しない

巷に流れている「一般的な解釈」というのは、多くの人が思っている程には磐石なものではない

 

エホバの証人という新興宗教

ユダヤ教徒の発想の方が自然であり、キリスト教徒の考え方は奇妙である

一口に聖書と言っても、翻訳次第、解釈次第でその姿は千変万化する

キリスト教はそもそもユダヤ教に寄生した寄生虫が分派したようなものである。その寄生虫の中からさらに派生したエホバの証人は湧いて出たウジ虫みたいなもの。それが唯一無二の真理を語るはずがない。そもそもキリスト教が怪しげな新興宗教であり、その一派であるものみの搭協会は完全なる新興宗教である。真理であろうはずがない

これも一つの考え方であるとあなたは認識出来ただろうか。間違いないと決め付けてしまうか完全拒絶反応を示すのがものみの塔的決めつけ型の思考状態である。

わしの言うとるのと違うことは言うやつは全部偽物じゃけえ、信じちゃあいけん

どうやら人間は全くの別種の団体に対してよりも、ある程度まで同じながらも何かが決定的に違う集団に対して、より大きな拒絶反応を示すようなところがある

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時代ごとに物語として成立しているので読みやすい一冊である。


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