神の声より、子供の声に耳を傾けるべきエホバの証人

ドメスティックバイオレンス大好きエホバの証人

私は、ほぼ生まれながらのエホバの証人2世だった。小学校に入る前から、両親に連れられてエホバの証人の布教活動に従事した。しかし、子供の私はこの自称「伝道奉仕活動」が大嫌いだった。

しかしながら、「伝道奉仕が嫌だ」と親に言おうものなら、とんでもない懲らしめが待っていた。懲らしめとは単純な体罰。お尻を、ベルトや素手でこっぴどく叩かれる。しかし、私の両親も大多数のエホバの証人の親も、元はDV(ドメスティックバイオレンス)大好きの暴力人間ではなかった。

エホバの証人の親は、深いマインドコントロール状態にある。

子供がエホバの証人の規定に沿わないことを言い出すのは、「悪魔サタンの誘惑に屈しているからだ」と、教団によって信じ込まれている。さらに、「明日にでもハルマゲドンという終末が来る」とも信じ切っている。

その終末、大艱難を親子で生き残るためなら、子供のお尻くらい、何度でも引っぱたく。そこで手加減することこそ、悪魔サタンの誘惑に自分が屈することだと思い込んでいる。

エホバの証人の親は、子どもを悪魔から引き戻すために、懲らしめという暴力行為に及ぶ。最初はそうなのだが、暴力は麻薬。子どもは叩けば言うことを聞く。すると、悪魔云々関係なく、いずれは親の思いどおりに子どもを動かすために手をあげ始める。

エホバの証人の神権的戦術という詭弁

とあるマンションでのエホバの証人の布教活動中、私と両親はエレベーターに乗る。私がまだ幼児の頃。エホバの証人はマンションなどでも一部屋たりとも漏らさず訪問し、宗教勧誘を行う。

オートロックの建物にも侵入してくる。以前に私も呼び鈴を鳴らされてドアを開けると、いきなり目の前に「ものみの塔誌」を持った2人組がいてぞっとした。

オートロックの建物だったのだが、荷物の配達員や住民に紛れて入り込んだのか、それとも在宅だった住民に開けさせて、そのまま忍び込んだのか。

エホバの証人は神権的戦術と称して、社会的なルールや常識などを無視する。神の是認があると、教団が決めたことなら社会のルールは無視される。この独善的な姿勢が、エホバの証人を危険なカルト教団にしている。

エホバの証人の伝道奉仕活動中のケガ

さて、そうしてマンションに忍び込んだ子供の頃の私と両親。エホバの証人の布教活動中にマンションのエレベーターに乗る。階段は大変なので普通にエレベーターを使用していた。ここら辺も住民に遠慮なし。図々しさ抜群のエホバの証人。

ところが、エレベーターのドアに私の手が挟まれてしまう。エレベーターのドアに手をついていたため、重なり合うドアの板と板の間に手が引き込まれてしまったのだった。伝道中だった両親は、痛くて泣き出した私を仕方なく病院へ連れて行った。

この時は両親と一緒に伝道に出かけていたのだが、私を病院に連れて行ったのは母だけ。父は伝道中のエホバの証人たちをまとめるリーダー的な役割を果たしていたので、伝道活動を離れることが出来なかった。

父は、子どもが大ケガをしたかも知れないのに伝道活動を優先させたむしろ伝道中にケガをするなんて、他の信者に迷惑だと、恐縮すらしていた。私の両親は、明日にでもハルマゲドンが来るという強烈なマインドコントロール下にあった。そのため、ものごとの優先順位すらつけられなくなっていた

現在、父親になった私だったら、どんなことでも放り出して、子どもを病院に担ぎこむ。重傷、軽傷という問題でなく、ケガをした子供が、心細く不安だろと考える。

神の声より、子供の声

私は、父が病院に来てくれなかったことにショックを受けたわけでもなく、「これで今日の伝道は終了、ラッキー」だと思っていた。とはいえ、ケガをしたのに母には怒られ、私は自分が悪いのだと思い込む。

しかし、ケガをしたのは私の不注意ではあったが、エホバの証人の布教活動で他人の家のエレベーターに乗らなければ、こんな事故は発生しなかった。毎日、毎日布教活動に出かけていた親にも責任はある。それを子どもに一方的に叱りつけるというは、親の教育方針としては完全にアウト。

余計な宗教のことで頭がいっぱいで、子どもの管理監督保護責任を果たせていない。私がおっちょこちょいだったというのも、あるにはあるのだろうが・・・

親が自分自身を省み、子どもの望みや声を聞くという姿勢の欠如。何もかも自分たちが正しいという思い込み。その思い込みのせいで、エホバの証人として深い罪を犯し、さらに自分の人生を大きくを損なわせた。後の一家離散につながる。

子供の私は、「ケガをすれば、布教活動で見知らぬ家の呼び鈴を鳴らさなくても済む」と思い始める。これが後の私の自傷行為につながる。とはいえ、この時のケガは軽傷で、その後すぐに布教活動に復帰させられたのだった。もう休ませてやれよ・・・。

私の両親は、週に3回もエホバの証人の王国会館の集会に通い、毎日の布教活動に出かける暇があるのなら、子供の私の話に少しでも耳を傾けるべきだった。

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