エホバの証人2世の終着点は破滅

ものみの塔という偶像に縛られるエホバの証人2

エホバの証人2世には罪悪感が薄いという特徴がある。例えエホバの証人をやめてもその傾向は直らない。私はエホバの証人をやめた10代後半の頃から繰り返し法に触れるような悪事を行ってきた。

未成年の頃の飲酒や喫煙については、非エホバの証人的生き方の象徴として、自ら好んで生活に取り入れた。罪の意識云々でなく、この頃はいかにエホバの証人チックに生きないかということに生活の重点を置いていた節がある。非ものみの塔であろうとして、その戒律に反することを進んで求めていた。こうして私はエホバの証人をやめた後でも『ものみの塔』という偶像に縛られていたのである。

自分の願望を叶えるためならば、多少の罪を犯すことも厭わない。この姿勢はかつて世界を水の中に沈め、ハルマゲドンでもう一度その同じ過ちを繰り返そうとしている神エホバの独善的な態度そのものである。ものみの塔という偶像を通して神エホバやものみの塔協会の利己主義や独善的な姿勢がエホバの証人2世の子供たちに受け継がれているのである。

ものみの塔協会の子供の教育の行き着く先は破滅

私がエホバの証人をやめた10代以降、繰り返し行っていた様々な悪事だが、徹底的に研究し露見しないテクニックを私は考え出していた。幼い頃からエホバの証人的悪事を繰り返してきたことの賜物である。親に見つかるとこらしめという体罰が必ず待っている。小さな頃から親の言いつけやものみの塔協会の戒律をいかに上手く破るかという修行を積んで来たのだ。ものみの塔協会の施す子供の教育はろくな結果をもたらさないのである。

見つからなければ良いという罪の意識の薄さは20代後半になっても拭われず、私は飲酒運転で3度目の大きな自動車事故を起こし検挙されることになった。この時に支払った代償は大きなものだった。多額の罰金を支払い、運転免許を失うことになる。この頃の私は自動車に乗らなければ不自由な地方都市の車社会で生活していたので、この後数年間は不自由な生活を送ることになったのである。

この自動車事故は自分自身が死に至ってもおかしくないような大事故だった。エホバの証人2世としてものみの塔という偶像に縛られながら生きてきて、まさに破滅に至る寸前で奇跡的に私は生き残ったのである。そして罪を犯すということとそれに伴う代償についてようやく私は気付くことになった。同時にその代償云々よりも私の身勝手な行為が他者に与える被害について考えるきっかけとなったのである。

命を失いかけてのようやくの再生と洗脳状態からの生還

幸いなことに私が飲酒運転で起こした交通事故では私自身を含めて怪我人などは全く発生しなかった。2件の民家の外壁などが新調されただけで事故処理は完結したのである。この事故で誰かが怪我をしていたり死に至らせていたりしたらと思うとぞっとする。そして私自身が死んでいてもおかしくないような大事故だった。私自身は全くの無傷で救援に来たJAFの人に「鉄人ですか?」と言われるほど、車や民家の外壁の損壊は激しかった。

この事故で奇跡的に生き残った私の年齢は20代後半だった。現在の私は30代後半で一児の親である。エホバの証人2世だったことに起因しているのかそうでないのかは微妙なのかも知れないが、私のかつて罪悪感の薄さは生きていく上で大問題だった。他者に与える損害は甚だしく、それが万が一にも自分や自分の身内に対するものだったならと考えるべきである。また親として子供に対して手本を見せなければならない。見本となるべき親がつまらない悪事に手を染めるということはあってはならないことなのだと今となっては思うのである。


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