エホバの証人という負の連鎖を断ち切るのは、「今」このとき

最優先はエホバでなく今の自分

私がエホバの証人をやめることができたのは、今を最優先にしたから。「今」が限りある人間の生の本質

ブラッド・ピットの『トロイ』という映画の中で、こんな台詞が出てくる。

The gods envy us.

They envy us because we’re mortal.

Because any moment might be our last.

Everything’s more beautiful because we’re doomed.

You will never be lovelier than you are now.

We will never be here again.

神々は羨んでいる

限りある人の命に

いつ死ぬか分からない

終わりがあるからこそ美しい

美貌もいつかは衰える

“今”は二度とない

自分の人生は自分のためのもの、少なくともすべてを神に捧げるためのモノではない。勇気を出せばエホバから自由になれる。

トロイ(字幕版)

ものみの塔の嘘

エホバの証人をやめて、私はようやくものみの塔協会がついている大きな嘘に気付いた。ハルマゲドンは来ない。洗脳が解けた瞬間だった。

それでも、その後の私は、エホバの証人的思考から抜け出すことができなかった。これが、私の人生を大きく停滞・迂回させる要因になった。

私が幼少期から青年期に受けた傷と、崩壊した私の家族のことを振り返る。これからエホバの証人をやめる人のためになることをここで書きたい。

いまだに教団内で囚われになっている現役信者の救済のために、強固なマインドコントロールと囚われの思考状態にわずかでもほころびを生じさせるために。

悲劇のループ

小学生の私が、教室の隅で節分の豆まきの様子を見ている。寂しさと恥ずかしさと情けなさのため、鬼のお面を被ってしまいたかった。しかし、それもエホバの証人2世だった私には禁止されていることだった。

エホバの証人の子どもは、エホバの証人にされてしまう。

エホバの証人は、エホバの証人としか結婚できない。その子どもたちも、必ずエホバの証人として育てられる。エホバの証人2世家庭に生まれた子どもは、エホバの証人3世になる。

悲惨な子どもの信者をさらに作るつもりなのか?

自分と同じ苦しい思いをさせるつもりなのか?

苦しい幼年期、辛い少年期、悲惨な青年期を、自分の子どもたちに送らせるつもりなのか?

エホバの証人のムチ打ち

エホバの証人の子どもは親に暴力を振るわれている。ものみの塔は懲らしめと称して、子どもに体罰を加えることを推奨している。鞭で打たれることが怖く、エホバの証人の子どもは表面的には親に従順。しかし、

愛する親に振るわれた暴力で、子どもの心はズタズタにされる。暴力は暴力を呼ぶ。暴力の連鎖。暴力を受けて育った子どもは暴力を振るう大人になる。そして自分の子どもを虐待する親になる。悲劇のループ。

今、ここで、この時代にエホバの証人という悲劇の連環を断ち切る。

エホバの証人2世が脱会宣言する際の3つの注意点(親に対しての告げ方)

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